名著を解説してくれる番組を見ていて、講師の方が「サードマン現象」という、私には初耳の言葉をおっしゃった。調べてみると、それは、“登山家や探検家、不測の事故や災難に遭遇した人などが生死を左右する危険な極限状態の苦境に陥った際、霊のような目に見えない第三者(the third man)的な存在が現れて安心や支え、正しい方向をもたらし、生還に導かれたという体験報告の現象を指す”とある。
このような体験は、イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンの体験に着想を得て書いたT・S・エリオットの詩「荒地」にでてくる「第三の人」という言葉で有名になったそうだ。
近年でも複数の冒険家や医者が同様の体験を語っているようだが、実は私も経験がある。神か仏か単なる幻かはわからないけれど、現れるのは決まってもうダメだと諦めかけたときのようだ。危険な極限状況とまではいかなくても、とても困難な状況の時に助けてくれる存在がいるに違いないと思わせる体験だった。私の場合、過去に3回あった。
山で遭難しかけた時に2回、あとは、母のガンの看病で疲れ果てていた時のことである。
1回目は、丹沢山系の沢登りを単独でしていた時のことで、尾根筋に出る崖路を間違えた時のこと。山で迷ったら沢筋にはくだらないこと、というのは常識だが、それをやってしまった時のことだ。見通しのきかない藪の中を歩いていたら、突然頭の中で「止まれ!」という声が聞こえたので、慎重に一歩ずつ進んでみると、崖の端に立っていた。周りに人はいなかったので、不思議に思ったことを覚えている。
2回目は、会津の七ヶ岳に登った時である。前日は、ご主人が熊打ちをしていたという民宿にとまり、熊の話を色々と聞いた翌日、一人で出発した。途中、ナメ滝に滑って流されたものの、何とか進むことができたのだが、やはり途中で道に迷ってしまって、とうとう夜になってしまった。暗闇の山中では、恐怖感しかない。前日、熊の話を聞かされているからなおさらだ。もちろん、道はなく、背の高い藪をかき分けて、行くべき方向へ進むしかないのだが、とうとう深夜になってしまった。途方にくれていた時、山中に荒れ果てた“出造り小屋”を見つけた。出造り小屋とは、特定の季節だけ、炭を焼くために泊まる炭焼きの人のものである。その小屋は、壁も戸も壊れ、楽に入ることができたので、そこで一晩過ごすことができた。もっとも、ナイフ片手に一睡もできなかったが。この小屋に歩きあたったというのも、何かの導きのような気がしてならない。
母の時は、亡くなる少し前のことだったが、朝、歯磨きをしているときに、やはり頭の中で、「明日を信じて!」という声がはっきり聞こえた。何かが私を励まそうとしたのか、寝ぼけていたのかは、わからない。母はそのあと、しばらくして亡くなった、
「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざを思いだすが、「人生には一見不運に見える出来事があっても、それが別の幸運や救いにつながることもある」と言われている。私の「別の幸運」はやってきているのだろうか?