人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけます

バット博士記念ホームの思い出

御徒町へ出かけたら、たまたま救世軍の社会鍋の前をとおり、衝動的に心ばかりをしたのだが、その時ふと「人の前で善行をしないように注意しなさい。」というコトバを思い出した。マタイ福音書だったと思うが、これは「右手のすることを左手に気づかせないよ…

カッチーニのアヴェ・マリアを弾く

以前、ギターの発表会で引いたことがあるのだが、今日久しぶりにカッチーニのアヴェ・マリアを弾いてみた。何度も聞いたり、弾いたりしているのだが、こんなに美しいと思える曲はめったにない。 実際にはソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフによって作…

極小文字の説明書でも、美術館でも大活躍

今週のお題「買ってよかった2024」 それは、“”Nikon モノキュラー”という、高倍率ルーペとしてミクロの世界も観察できるし、先端部を回転させると望遠鏡にもなるというシロモノ。単眼なのだが、美術館に行ってそばに寄れないとき、大活躍である。国宝の細部…

「救われた人は、救う人になる。」というコトバに感動!

「救われた人は、救う人になる。」 このフレーズに深く刺されてしまった。 今日の夕刊の広告のキャッチフレーズの言葉である。 本文では、「…誰かを支援することは、世の中に良い連鎖を生む。…」と説明的に表現されており、これは支援を呼びかける広告なのだ…

『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』を見に行った。

アニメを見て興味を持ったので、実写版の映画を見に行った、 原作が持っている素晴らしいアイディアを一つひとつ紹介するのもいいのだけれど、あたらめて映画を見て一番印象に残ったことを書くとそれは、「うちの駄菓子をお買いになっても、幸せになるか不幸…

“精神的な”障子張り

今日は家の障子を張り替えた。 昔の人は、障子というものをどのようにとらえていたのだろうか?隣の部屋にいる人の雰囲気やけしきばかりでなく、外からやってくる光が変化し、それがもたらす何かを重んじていたに違いない。谷崎潤一郎は、むしろ障子によって…

冬至の日に思ったこと

柚子湯に入りながら、こう思った。 冬至の日は、太陽の力がいちばん弱くなった日を無事に過ぎることができた、という喜びの日と聞いていた。「最も弱くなった日を過ぎる」とは、言い換えると、新たに太陽が誕生したと言うこともできる。キリストは、太陽霊と…

生きているときにやっていることは、結局何?

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか?」といったテーマの論や書がよく出ているが、端的に生きているときにやっていることは、衣食住と権力志向と快適さの追求だけとも言える。もちろん人間として、他者への愛が最も大切なのは言うまでもないのだが、現実は三つ…

認知症の家族の今日の反応

私の家族の一人は、いつもは無表情で、何かを話しかけても、ほとんど無反応なのだが,今日は珍しく“人間的な”反応があったので、とてもうれしい。いつもは、人間的な感情も思考も意志も無いように感じられるのだが、今日は違っていた。認知症にも波があるのだ…

主夫業をするようになって

主夫業をするようになって、かなりたつが、やっとこの頃慣れてきた気がする。最初のうちは、“こんなことやってられるか!”という感じだったが、いかに今まで 妻に頼っていたかを感じさせられる。パソコンを使って高度な?ことを頭脳をフル回転させていた?仕…

年賀状のヘビのイラストを見て、思い出したこと。

ヘルメスの杖 来年の年賀状素材を色々見ていて、どれも同じように、綺麗でめでたく、きらびやかなヘビのモチーフばかりなので、どれにしようか迷っているうちに、シュタイナーがヘビに関連して話していたことを思い出した。 それは、「ヘルメスの杖」とも言…

自分を殺しきれない演奏とは?

クラシックギターのソロ演奏会に行ってきた。テクニックも表現力も、音楽性も素晴らしく、久しぶりに堪能できた。が、しかし、もっと印象に残ったのが、ギタリストの語る言葉だった。ギターデュオの演奏会を予定しているそうなのだが、相手はギターの師匠と…

PERFECT DAYSを見て思ったこと

遅ればせながら『PERFECT DAYS』という映画を見た。監督のWIM WENDERSはインタビューで、端的に“トイレ掃除に身を捧げている男の物語”と語り、また、主人公は“すべての物事に対して愛情のこもった見つめ方をします”といった趣旨の話もされている。 私も見終…

戦争は、“絶対悪”、それとも“必要悪”?

戦争を、他から発せられた情報のみから考えてみると、それは、いかなる理由がつけられたにせよ、絶対悪である、と考えるのは当然である。ある新聞も、“戦争は絶対悪であって、決して必要悪などではない”といった論旨を展開している。 今、世界の各地で戦争が…

ピラミッド ー “思想のある地形”

ピラミッドに関するあるテレビ番組で、吉村先生の言葉が、忘れられないくらい強烈だった。それは、「思想のある地形」という言葉だ。地形に思想がある、というのは、いったい何を意味しているのだろうか? 吉村先生の発言の主旨は、クフ王のピラミッドには、…

日記を書く意味

高橋巖先生は、日記をつけることをよく勧められていた。 重大な体験でも、高尚なことでもなく、ただ日常行ったことや 思ったことをそのまま書けばよい、という。 「今日はカレーライスを食べました。」で、かまわないという。 その理由は、何もおっしゃらな…

人生相談で、「生きる屍です。」

新聞の人生相談欄で「今は生きる屍」という言葉が眼に入ってきて、驚くと共に やはりこういう若者が多いんだな、と感じる。 多くの若者に接し、話してきた経験から言うと、「自分が本当は何がしたいのか、 わからない」という人が少なくなかった。その人たち…

お金のない世界

「スタートレック ファーストコンタクト」のビデオを見直した。 子供が喜ぶ単なるSFとしてかつて見、また今回もそのようなつもりで 見ていたのだが、年を経て見てみると、そのエンターティメント性ではなく、 個々のセリフに注目するようになったことに気…

一人で食事をすることについて

「孤独のグルメ」という作品群があるが、今まで食事や料理に関心が ほとんどなかったのだが、これを見るようになって、少し自分が 変わってきたような気がする。 人智学では、「感覚とは何か?」が深く研究されているが、 味覚をはじめすべての感覚は、物質界…

気功とオイリュトミー

気功教室に通っているのだが、気功の動作(練功)は、人智学で言うオイリュトミーと とても類似性がある。中国で“気”と言っているものは、太極拳にも共通するが、 人智学(神智学)では、“エーテル体“にあたる。エーテル体の動きを、肉体を通じて 表現するものを…

魔物

毎週日曜の朝刊の記事、「ブッダを探して」を楽しみにしている。 今日のタイトルは“魔物”だった。瞑想をして、おどろおどろしい 魔物を見た経験を語られているのだが、筆者は、それは「妄想であって、 実在するものではない。」と書かれている。 「それは自…

ゲゲゲ忌

全く忘れていたのだが、昨晩ただ何となく、深大寺へ行きたくなったので、 今日行ったら、水木おお先生の命日だった。 水木先生は、私が尊敬し崇め奉る先生の一人である。 水木先生と人智学を結びつけるのは、難しい気もするが、 先生は、『ゲーテとの対話』…

道端の朽ちた枯葉

今日、ギター教室へ行く道すがら、コンクリートの上に、 一見醜く汚く朽ち果てた茶色い枯葉がたくさん落ちているのを見た。 上を見上げると、公園の赤い美しい楓の葉が茂っている。 それを見て思い出した、シュタイナーの言葉。 「自然の相貌をよく見よ」、…

頼れる障害者

今日の夕刊一面に「頼れる障害者」という言葉が載っていた。 ある医大では、雇用率の達成だけではなく、自身をもって 生きていく力を持つことが使命と話しているという。 この記事を読んで、すぐに思い出した言葉がある。 高橋巖先生が日ごろ何度もおっしゃ…

永訣の朝

宮沢賢治の『永訣の朝』を読み直した。 妹であるトシの言葉として、 「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」 というものが書かれているが、 私自身も自分のことばかりで 苦しんできた、と思ってきたが、 私…

風姿花伝と花鏡を読む

世阿弥は、老年になってからの初心、ということを言っているが、人は一生未熟である、という風に解釈できる。「初心」という言葉で思い出したことが二つある。 一つは、ヘルマンヘッセの『階段』という詩の中で、「すべての始まりには不思議な力が宿る」とい…

墓参り

高円寺に墓参りに行った感想。死者について、シュタイナーや高橋巖先生が 言っていたこと、その他いくつかのことを思い出した。 「墓石は死者が通路とするものである」のようなことを思い出したのだが、 墓石の前で死者のことを思えば、石を通ってやってくる…

ニコライ堂へ行った

今日初めて神田のニコライ堂へ行ったのだが、正式な名称は、東京復活大聖堂教会というそうだ。人智学を教えていただいた高橋巖先生が、「キリスト教の本質は、愛ではない」とおっしゃったのを思い出す。すべての宗教は愛を謳っており、キリスト教の特徴は、…

人智学的つれづれ草

最近、シュタイナーを学ぶことの意義をますます強く感じている。 ずいぶん長いこと、本を読んできたが、まだまだ疑問も多い。 一緒に読書会をやれたらいいのに、と思っている。