人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ゲゲゲ忌

全く忘れていたのだが、昨晩ただ何となく、深大寺へ行きたくなったので、 今日行ったら、水木おお先生の命日だった。 水木先生は、私が尊敬し崇め奉る先生の一人である。 水木先生と人智学を結びつけるのは、難しい気もするが、 先生は、『ゲーテとの対話』…

道端の朽ちた枯葉

今日、ギター教室へ行く道すがら、コンクリートの上に、 一見醜く汚く朽ち果てた茶色い枯葉がたくさん落ちているのを見た。 上を見上げると、公園の赤い美しい楓の葉が茂っている。 それを見て思い出した、シュタイナーの言葉。 「自然の相貌をよく見よ」、…

頼れる障害者

今日の夕刊一面に「頼れる障害者」という言葉が載っていた。 ある医大では、雇用率の達成だけではなく、自身をもって 生きていく力を持つことが使命と話しているという。 この記事を読んで、すぐに思い出した言葉がある。 高橋巖先生が日ごろ何度もおっしゃ…

永訣の朝

宮沢賢治の『永訣の朝』を読み直した。 妹であるトシの言葉として、 「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」 というものが書かれているが、 私自身も自分のことばかりで 苦しんできた、と思ってきたが、 私…

風姿花伝と花鏡を読む

世阿弥は、老年になってからの初心、ということを言っているが、人は一生未熟である、という風に解釈できる。「初心」という言葉で思い出したことが二つある。 一つは、ヘルマンヘッセの『階段』という詩の中で、「すべての始まりには不思議な力が宿る」とい…

墓参り

高円寺に墓参りに行った感想。死者について、シュタイナーや高橋巖先生が 言っていたこと、その他いくつかのことを思い出した。 「墓石は死者が通路とするものである」のようなことを思い出したのだが、 墓石の前で死者のことを思えば、石を通ってやってくる…

ニコライ堂へ行った

今日初めて神田のニコライ堂へ行ったのだが、正式な名称は、東京復活大聖堂教会というそうだ。人智学を教えていただいた高橋巖先生が、「キリスト教の本質は、愛ではない」とおっしゃったのを思い出す。すべての宗教は愛を謳っており、キリスト教の特徴は、…

人智学的つれづれ草

最近、シュタイナーを学ぶことの意義をますます強く感じている。 ずいぶん長いこと、本を読んできたが、まだまだ疑問も多い。 一緒に読書会をやれたらいいのに、と思っている。