パワースポットについては半信半疑だったのだが、個人的に不思議な体験をしたので書いておく。
先日、香川の金毘羅さんにお参りした時のこと。奥社まで1300段余りの階段があると聞いていて、とても行けそうにないと思っていた。そこでタクシーで中ほどまで行ったところ、何とか奥社まで歩くことができた。杖をつきながらだが。
不思議な体験は、下りの時に突然起こった。桜馬場西詰銅鳥居と言われる鳥居の横を通った時だった。階段でいうと430段あたりだ。それまで痛かった右ひざがまったく正常になってしまったのだ。痛みが突然消え、体は軽くなり、飛ぶように階段を下れるようになった。これは、不思議としか言いようがない。信じるも信じないもなく、本当に体験したことだ。
このようなことは、実は初めてではない。日光で二回、同じような経験をしている。憾満ヶ淵という、化け地蔵とよばれる約70体の地蔵群があるところなのだが、その場所ではなく、日光駅からそこへ行く途中の河岸でそれは起きた。やはり、足が軽くなり、すごいスピードで歩けたのをおぼえている。普通の道での出来事だ。
日光での二回目は、四本龍寺へ行く途中でのことだった。日光山を開山された「勝道上人」によって創建された日光山で最初の寺院だそうだが、小さな古い観音堂だけが残っていた。輪王寺とは、比べることもできない、見過ごしてしまうようなお堂だ。ここでも同じ現象が起きた。その時は、雪の中をずんずん歩けた。日光の経験では、いずれも晴れ晴れとした気分になったことが、共通している。
このような体験ができるところをパワースポットと言うのかどうかは、わからないし、その理由を説明することもできない。ただ、体験しました、という話だ。
場所のパワーについて、どうしても調べたくなり、人智学での考えをまとめておく。
「パワースポット」という現代的な言葉自体は、人智学には出てこない。だが、特定の場所や地形が霊的・宇宙的な力を帯びているという考え方は、あったようだ。
「地球のあらゆる場所には、宇宙の特定の力が流れ込んでいる。」と言われている。
人智学では、土地には精霊的存在が宿ると考える。たとえば、
•山や岩には「地の精霊」
•水辺や泉には「水の精霊」
•森や風には「空気の精霊」
•火山や太陽の下には「火の精霊」
こうした存在たちは、地球の霊的な「生命力」を運んでいる。人間がこれらと調和して関わるとき、場所の霊的力とつながり、癒しやインスピレーションを得ることがある、という考え方は、現代でいう「パワースポット体験」とよく似ているかもしれない。
シュタイナーは、「場所そのものの力」に盲目的に依存することを戒めている。人智学では、外的な力ではなく、自己の意識の変容こそが重要とされる。「場所が人を変えるのではなく、人が場所を通して自己を変える。」つまり、人智学的には「パワースポット」は存在しうるが、それは外的な奇跡の場ではなく、人間と地球・宇宙との霊的関係を感じるための媒介点だと考えている。
日光の特殊な地形は、人智学で言う四大元素・精霊が調和して共存する「地球の霊的呼吸点」と言えるのかもしれない。太陽神信仰(天照大神)とも結びつき、「太陽意識=宇宙的自己」の顕現の場なのだろう。
金毘羅さんは「海と大地、天と冥界のあいだを媒介する場所」といえる。金刀比羅宮は讃岐象頭山の中腹にある。この山は瀬戸内海を見下ろし、海の霧と山の緑が交じり合う、独特の“境界”地帯だ。人智学の自然観では、境界こそが霊的力が集中する場所とみている。金毘羅さんはまさに、「地の力(岩・山)」と「水の力(海・霧)」が出会う点なのだ。
下りの階段の終わりの所で、讃岐うどんとビールを堪能した。近年まれにみる喜びである。