新聞の見出しに、“大学教員VS生成AI”とあったので、てっきりそのどちらが賢いのか、という内容かと思ったら、全然違っていた。その主旨は、かなりの学生が生成AIを使って感想文や課題を仕上げてくるので、教員は今後、“AIでは高得点が取れない課題をいかに作れるかの力量が問われる”、というものだった。今は、学生の実体験に基づく考察を書かせる課題に切り替えている、というが、「こんな対策もすぐに無意味になるだろう」とも言っている。
大学の先生も大変なんだなーという感想を持ったが、一方で、違う見方でも考えた。大学の先生たちは、専門分野での深い知識と経験を大量に持っており、既存の知識や情報を多面的に評価し、新たな観点を提供することができる。さらに、感情的な支援や動機付け、価値観のとらえ方などを通じて、学生のモチベーションを高めることもできる。それなのになぜ、「すぐに無意味になるだろう」などとおっしゃるのだろうか?
きっとこの記事を書いている先生は、これらの能力は、すぐにAIが獲得してしまうだろう、と思っているのだと推察する。ちなみにAI自身?に聞いたところ、「AIは瞬時に大量の情報を分析し、回答を返すことができますが、深い思索や意図を持つわけではなく、感情や価値観を考慮することはできません。」と回答を返してきた。自己をよく理解しているように聞こえる賢い答えだ。
感情や価値観も、思索の跡や意図も、最後のアウトプットは「非常に豊かな文章表現」という形をとることができる。そのような文章を、人が書いたのかAIが書いたのか、はたして見分けることができるだろうか?