200ページほどの『銀の匙』を教材にし、中学の三年間をかけて生徒と一緒に読んだ先生と言えば、もうお分かりと思うが、旧制灘中学校の国語教師、橋本 武さんである。この授業を受けた生徒たちが灘中・灘高を全国に知らしめることになる。
中勘助が書いたこの自伝的物語は、子どもの目で見た子どもの世界が描かれている。例えばある駄菓子の話が出てくると、その授業のために橋本先生は、その駄菓子を探し求め、生徒全員に食べさせたという。
橋本先生は、こんなことをおっしゃっている。「教壇に立つようになって、自分自身は中学校で先生から何を得たかと問うと、何も残っていない。授業の様子すら浮かんでこない。がくぜんとしたね。」
これには全く同感だ。私も中学で何を勉強したか内容はまったく覚えていない。はるかな記憶に残っているのは、先生がどんな人だったか、どういう性格の人だったか、という印象だけである。
橋本先生は、徹底的に“横道”にそれることを大切にしたそうだ。書いてあることを追体験し、作品と一体になる、自分が書いているような感覚に浸ることで読み解く力を深めたようだ。1週間で1ページも進まないこともあったという。
「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」ともおっしゃっているが、ちょっと言い換えて、“すぐにわかることは、身につかない”とも言えそうだ。
作品中の出来事や主人公の心情の追体験に重点を置く、ここが肝心な点だと思う。さらに様々な方向への自発的な興味を促す工夫もされていたようだ。
これは、人智学の本を読むときの方法にとてもよく似ている。効率的に内容を理解し、書かれている知識を記憶し、すぐに何かに活かす、という読書とはまるで正反対だ。人智学の本の読み方は、“受け入れたとき、今までの自分の考え方、感じ方を変化させることができたかどうか”が問われる。たとえ自分と反対の考えが書かれていても、すぐに反感を持たず、それを自分の中にまずは丸ごと受け入れ、それと一つになってみること、それが大切だと言われている。
そういえば、高橋巖先生も講読会で、一冊の本を2年くらいかけて、読んでいたことがある。いつも少し戻りつつ、参加者の意見を聞きつつ、進められていた。
『銀の匙』は、日常生活の中で感じられる人間の感情や思索を鮮やかに描いているが、「普段の生活に潜む深い感情」を敏感に感じ取る機会はほとんどなくなっているような気がする。