
内田樹氏の『勇気論』を読んで印象に残ったのは、スティーブ・ジョブスの発言の引用で、それは「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です。心と直感はあなたが本当は何になりたいのかをなぜか知っているからです。」という言葉だ。内田氏は、それを「物事を始める時に、まず周囲の共感や理解を求めてはならない」と言い換えて説明している。
なぜ、勇気が必要か?それは、周囲の人や社会・世間が、あるいは常識が、心と直感に従うことを許さないからだ、と強調している。許さないのは周りだけでなく、自分自身の内にある規制の声もまたそうではないかと思う。その声は、きっと教育によって「培われた」ものに違いない。いわば、いつも「ねばならない」と思う心だ。
『勇気論』では、そのためには“どうしたらいいか”というノウハウは直接的には書かれていない。そこが、さすが内田氏!と言えるところで、あとは自分で考えるしかない。
魂が逆境や恐れに直面しても、自らの意志を保つ力のことを勇気というとすれば、それは外から与えられるものではなく、日々の内面的訓練によってしか養えないと思われる。
「勇気を奮う、奮い立たせる」の表現のように、勇気は感情に深くかかわっているようにも思えるが、案外、思考を制御できるようになると、感情に呑まれにくくなり、困難な場面でも意志を持ち続けられるような気もする。
勇気は、最初から大きな行動で表れるものではなく、「ほんの一瞬の決意」や「気づき」から始まると思えれば、とりつきやすい。心に湧いたわずかな決意や思いを見逃さないことがポイントだ。ふつうは、その瞬間を逃してしまうことが多いが、「今日はできなかったけれど、気づいた」ということ自体が勇気の萌芽となりえる。気づいたことを覚えていればいい。
今日できなかった、でも明日もう一度試す。その「やり直しの意志」こそがすでに勇気の養成になっているのではなかろうか。
ひとりで勇気を起こせないとき、他者から勇気を「借りる」こともあっていいと思う。芸術、自然、祈り、敬愛する人物の言葉などは、魂に外から力を注いでくれる。好きな音楽を声に出して歌うのもいいし、詩を朗読するのでもいい。
身体を通して勇気を呼び覚ます方法もある。深く呼吸する、胸を開いて姿勢を正す、歩くテンポを落ち着ける、などだ。内田氏の場合は、合気道に違いない。
そのほか、勇気を養う小さなエクササイズには、こんなこともあるかもしれない。
小さな「逆らい」をやってみる/あえて普段と違うことをしてみる/いつも右手でしていることを左手でやってみる/通勤・通学の道を少し変えてみる/言いにくい一言を口に出す/「ごめんなさい」を素直に言う/ちょっとした自己主張をしてみる、など。
自分が今日恐れたこと・不安に思ったことを紙に書く、という方法もある。それを客観的に見て、「これは本当に現実の脅威か? それとも自分の心が作った影か?」と問いかける。
「普段なら避ける小さなこと」を一つやってみることはお勧めだ。知らない人に挨拶する、普段頼まない料理を注文する、意見を短く言ってみるなどだ。「小さい成功体験を重ねると、人は変わってくる」と普通よく言われることがここでも当てはまりそうだ。
一日中臆病さと戦う必要は全くない。「今日は5分だけ、恐れていることを試す」という姿勢で十分だ。あとの時間は、いつも通り「臆病」?に過ごせばいい。「限定された時間で向かう」ほうが現実的で、精神も安定する。