人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

ミカエル祭の肝試し

ミカエルと持国天

大天使ミカエルの祭りには関心がなくても、フランスのモン・サン=ミッシェル(Mont Saint-Michel)はご存じの方が多い。ミッシェルがすなわちミカエルだ。モン・サン=ミッシェルと宮島は姉妹都市となっていて、宮島町にある大聖院の境内には、ミカエルの像が立っている。

今はミカエル祭の時節なのだが、これは外の世界がだんだんと暗くなるこの時期に、内なる光を育む祭りといえる。ミカエルには竜に立ち向かう姿を通して、心の弱さや迷いを吹き払う勇気の権化のようなイメージがある。人間が精神的自由を確立するための援助者ともされる。

ミカエルは、抽象的・機械的な思考が物質主義に落ちないように、思考を「生きた思考」に導き、人間を「権威」や「古い宗教的外枠」から解放し、個々が自由に霊的真理を求められるように働くと言われている。

ミカエル衝動は、なによりも勇気の養成に関係が強い。ミカエルが描かれる絵や像には退治される竜が出てくるが、竜は人間の内に働く「恐れ」「懐疑」「硬直した思考」の象徴とみなせる。ミカエル衝動を受けるとは、思考と魂の中に勇気を呼び覚ますことだといえる。日本でいえば、天邪鬼を踏みつける持国天と同じような存在だ。

“勇気を呼び覚ます”というテーマは、日本にも西洋にもある。

「勇気試し」という話は、日本の民話や昔話の中によく出てくるが、「恐ろしい場所に一人で行かされる」「怖いものに向き合う」といった試練型の物語である。

代表的なパターンは、墓場に行く話、夜中に墓場へ行って「証拠」を持ち帰ることを命じられる話、鬼や妖怪との遭遇などがあるが、これらは子どもの通過儀礼としての勇気試しで、共同体で「子どもが大人になるための度胸試し」として行われていた。いわゆる「肝試し」と言っていい。

勇気には、おおきく三種あるように思う。
ひとつには、小さな恐れに打ち勝つ訓練、困難を成長の機会と見る勇気。
さらに、既成概念に安住しない勇気、権威や偏見に迎合せず、自分で考え抜く勇気。
そして、自分の霊的認識を隠さず語り、人と分かち合う社会的勇気である。
外への挑戦を通して「心の竜」と戦う練習をすることになる。

西洋での例として、この時期にシュタイナー学校で行われる「勇気試し」を紹介する。

これは、単なるスリルや危険に挑戦するものではなく、子どもが自分の内面と向き合い、恐怖や不安を意識的に乗り越える経験を通して「自分を信頼する力」を育むことを目的とする。子どもたちの内面の成長、特に勇気・自己統制・善悪の判断力を育むことを目的としている。闇・高所・未知・挑戦は「恐怖や不安」の象徴となる。

たとえば、学年によって変わってくるが、

高い木の上から小さくジャンプする、川を渡る。
キャンプや学校の庭で、暗闇の中を歩く。
紙で作ったモンスターを怖がらずに倒す、暗い部屋で自分を表現する劇。
クラスで自分の意見を大きな声で発表する。
他者の前でピアノや朗読を披露する。
高さや簡単な障害物に挑戦(低めのロープ渡りなど)する。
山登りや小規模なアウトドアアドベンチャー(岩場や川渡り)。
夜間にチームで目的地まで進む「ナイトハイキング」。

など、多彩だ。中には、「焼けた炭を手で取り出す」といったやや過激なこともあるようだが、聞いた話では、案外大したやけどはしないとのことだ。日本の火渡り行のようなものかもしれない。

勇気試しは、ミカエル祭の精神を日常の体験として実践するものとなる。例えば、「暗闇の中を歩く」ことは、「未知や恐怖に立ち向かう」ミカエルの勇気を象徴している。シュタイナー教育では、これらの体験が魂の成長や人格形成に直結すると考えられている。

日本でも「肝試し」や林間学校の挑戦、発表会などが「勇気試し的要素」を持つことはあるが、シュタイナー学校のように内面的成長を重視して体系化された活動はあまり無いように思う。娯楽や体験学習が主目的で、精神的象徴性は薄い。日本の行事は「偶発的に勇気を育む」のに対し、シュタイナー教育では「意図的に勇気を育てる」仕組みになっている。