人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「クレーの双子」に私の兄弟を見たこと

双子 パウル・クレー

私の部屋の壁には、この絵が長い間かかっている。ほかにも、ピカソのピエロとか、ルオーのピエロとか、クレーの天使像とかがあるが、この絵は唯一特別な存在だ。

絵の中の二人が、私と兄以外には見えないからだ。兄は認知症で、もう幼児のようになっている。若いころには、色々な面で面倒を見てもらった。その恩義は一生忘れない。それだけに不憫で仕方がないのだが、この絵を見ていると、ふたりで今も一緒に生きているという実感が湧く。

クレーはまるで、「人間という存在は、常に“二つでひとつ”である」という真実を、静かな、でも、嵐の中を共に歩むような情景で描いている。

「双子のカルマ」とは、二つの魂が、互いの成長と償い、あるいは奉仕を目的として、同時に地上へ降りてくる約束を意味しているように思われるが、これは人智学の理論と言うよりも、私と兄の現実を示している。

私と兄は、過去世で深い絆を結び、未完の使命や愛を共有していて、今生で「同時出生」という形で再会したものではないかと直感している。互いの感情や思考を無言で感じ取るほどの共鳴をもっている。今は、物理的なコミュニケーションはとれなくても。

もしかしたら、過去世で対立や不調和をもっていて、再び近くに生まれることで「互いの影を照らす」機会を得たのかもしれない。それは、本当にわからない。

カルマには、ひとつの霊的使命を二つの側面で果たすために、二つの魂が同時に顕現する場合もある。二つの側面とは、霊的と地上的、内的と外的などだ。

ふりかえってみると、兄は物理工学を専攻した、唯物思想の持主だったし、私はフランス思想文学を学び、人智学を研究した。まさに「地上的と霊的」なのだが、その違いは大したことではないように思われる。

シュタイナーは、人間が地上に降りる前、霊界において自我の一部を分け与えることがあると述べている。この「分与」された部分が、別の存在として転生すると、地上では“二人の人間”として出会うことがあるのだ。

地上的には二つの身体をもつが、霊的にはひとつの源を共有する存在なのだ。そのため、双子の間には、言葉を超えた親密な感応がありながら、同時に「自他の区別」を学ぶ厳しい課題も伴う。

双子のカルマは、究極的には次のような霊的課題に帰着するといわれる。

「私でありながら、あなたでもある」
「あなたを通して、私を知る」

すなわち、二つの個が互いに鏡となり、霊的な自己を映し出す過程だ。

「あなたの痛みは私の痛みだった」
「あなたの喜びを私はまだ受け取っていなかった」
「私たちは一つの運動の両端だった」
そして、
「嵐の中で何があっても一緒に生き抜いていきたい」

クレーの絵からは、そんな叫びが聞こえてくる。

もうそんなには長くなく、兄とは別れることになる。地上で分かたれた兄の霊と、再び会える予感がしている。人智学では、「単なる再会ではなく、互いの関係がより高次の段階で再演される」と言われる。本当にそうであってもらいたい。