人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

バッハのシャコンヌを瞑想する

シャコンヌ アンドレス・セゴビア編曲

クラシックギターでよくシャコンヌを弾いたり、聞いたりするのだが、そのたびに、「この曲は人間の運命そのもののようだ」という感覚が心の底から湧いてくる。もちろん、〈無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調〉のことだ。

バッハの音楽は一般に、外的感情の表現ではなく、宇宙に内在する数学的・霊的秩序の響きを地上にもたらしているといわれる。バッハは、音楽界のピタゴラスといえるのだ。バッハの音楽は感情に流されず、機械的でもない。数学的秩序の中に、温かい霊的呼吸がある。

シャコンヌは「霊的イニシエーションを音の中で生きる」ような音楽といえる。

人智学的にこの曲の構成を見れば、

低音主題=変わらない存在の核と運命が提示される。
変  奏=感情・思考の流動
全体構造=転生を通して自己が成熟していく過程

と読める。

冒頭のニ短調は、バッハの妻マリア・バルバラの死という深い喪失を通って生まれたともいわれる。人間が地上を去るとき、肉体が崩壊する一方で、霊魂はより明確になる。その「沈降と上昇」のリズムが、冒頭の力強い下降音型と上昇音型に象徴されている。ニ短調の響きは、地上の痛みを越えて「霊的世界への扉」を開くときに現れる。

第一部(ニ短調)は、意志を持って生まれてきた地上での試練の始まりだ。
冒頭の強靭な低音主題が提示される瞬間、人間の地上的意志が世界に打ち込まれる。リズムは重く、厳格で、逃れられないような運命感がある。繰り返される低音は、「私はこの地上で生きる」という意志の刻印だ。次々にさまざまな動き(欲望・感情・知性)が上昇し下降するが、どれも基調を離れない。瞑想の視点でいえば、この導入は、瞑想の第一段階「闇の中へ沈む」行為にあたる。思考を鎮め、感情を手放し、「私は何者か」を問う静寂がただよう。

第二部(ニ長調)は、霊界での洞察と光の理解のように感じる。
やがて長調に転じる中央部は、まるで地上を離れて光の世界へ入るような響きになる。ここが「作用(帰ってくるカルマ)」の領域だ。地上でまいた行為の結果は、霊的世界で姿を変えて返ってくる。そこでは苦痛ではなく、「意味としての理解」が生じる。旋律は明るく、広がり、他界した魂が「全体との調和」を感じるような透明さを帯びる。

第三部(短調への回帰)は、地上への帰還の表現のように思う。
最初の絶望とは違い、ここには成熟した静けさがある。ここで起こっているのは「解放感」だ。光の理解をもって地上へ帰還する。もはや抵抗ではなく、受容と奉仕の意志が芽生える。音の動きは柔らかく、しかし確固としていて、試練が意味へと変わったことを示している。

どんな変奏も主題の“運命”を離れることはないが、同時に、それをどう生きるかは自由なのだ。ここでは人間の最も深いテーマ、「運命と自由」が両立している。

最後の和音は決して「悲しみの終止」ではなく、カルマが愛と理解の中で円環を閉じた音。それは再び次の転生へ向かう準備でもあり、静かな勝利の響きでもある。

ぜひ、シャコンヌを聞いていただき、宇宙的な人生曲線を味わってほしいと思う。