國學院大學の博物館で、アイヌ文化に関する展示を見に行ったのだが、アイヌ文化への強い関心をよそに、常設されていた折口信夫の再現された書斎やらその生涯を映したビデオ映像やらに心を引き寄せられてしまった。
折口信夫は「言霊」という古代日本の観念を研究した代表的な民俗学者であり国文学者だが、単に古代的信仰として扱っただけではなく、それを近代社会・現代社会における言葉の力の問題と結びつけようとしたところに、画期的な視点があったように思う。
折口にとって「言霊」は単なる迷信や古語ではなく、祝詞や歌が共同体の結束を強め、日常の言葉にも人の心や行為を変える力がある、と考えていた。折口は詩歌や芸能を「言霊を生かす技」とみなし、現代の文学者や芸能者にも「言霊の継承者」としての役割を期待していたと思われる。
折口は近代社会において、言葉が単なる「記号」「伝達手段」として消費されることを危惧していた。心からの情感を伴わない言葉が氾濫している現代をすでに予感していたと言える。
言葉が現実に作用する仕方を古代人は「言霊」と呼び、それを現代人は単なる心理作用・社会作用と呼んでいるのではなかろうか?折口は「言霊の力は現代にも生きているが、それを意識しないために操作や乱用が起きやすい」と見ていた。
広告コピーやキャッチフレーズも「現代の言霊的実践」であると言えなくもない。たとえば「お得な〇〇」などの短い言葉が、人の行動を左右し、欲望を喚起する。これは古代の祝詞や呪詞と同じように、言葉が直接に身体や社会の動きを作り出す働きなので、新しい「言霊」と言えるかもしれない。
ただし、商業主義によって「言霊の力」が過剰に利用され、消費を煽る方向に偏っている、と折口なら批判的に見たことだろう。
また、SNSの言葉は拡散性が強く、現代社会では「呪言」のように働く。「炎上」さえもまた、言葉の力が実体を持つ例といえる。現代のSNSは共同体の分断や過剰反応を生んでいる。
政治家も、選挙演説やスローガンによって人々の感情を動かす。「チェンジ」「改革」「国民の声」などの言葉は、内容よりも響きそのものに力が宿っている。耳から入ってきたものに、人は抗いにくいところがある。だから人々への影響力も強い。折口が生きていたら、これを「言霊の力の残存」と見つつも、中身の伴わない言霊の濫用は、“逆共同体”を発生させると警告したに違いない。
折口は、こんなふうに書いている。
「言霊とは、言葉がそのまま事を成す力である。言うことがすなわち行うことになる、という信仰であった。」
「歌は魂を呼びおこし、言葉は事を動かす。そこに芸能の源がある。」
人智学では、「言葉は単に意味を伝えるものではなく、響きそのものが霊的な力を持っている。言葉の響きを動きに移すとき、人間は宇宙のリズムと共鳴する。」と言っており、また、「霊的に鍛えられた言葉(祈り、詩、芸術的な言葉たとえば歌)でなければ、人間の魂を調和へ導けない。」ともとらえる。これをみると、そこにあるものは、折口の思想と根本的に同じだと思う。
折口とシュタイナーを両方手掛かりにすると、現代文学は 「言葉の霊力の痕跡」と「宇宙的ロゴスの反響」 を二重に表現しているといえる。特に、村上春樹や吉本ばななが代表だ。現代的な言霊の残響、つまり霊的に鍛えられた言葉がそこにはあるような気がする。