人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「さまよう」と「さすらう」について

「さまよえるオランダ人」 東京二期会

ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」を観てきた。このオペラのモチーフは、ごく短く言うと、「船長が神を冒涜し、永遠に海をさまよう呪いを受けるが、真実の愛によって救済される。」というものだが、人類の魂がたどってきた歴史的経緯をよく表していると思う。

オランダ人は「終わりなき放浪」を強いられているが、これは霊的に「自我が物質世界のなかで安住できず、真の意味での居場所を失っている」姿を象徴しているとみることができる。そして、近代の孤独な自我が「愛による救済」を待ち望む姿でもある。

オランダ人を載せた船は、どんな嵐でも沈まないが、港に入ることも、安らぐこともできない。世界の海を際限なく航行し、霧や嵐の中に幽霊船として現れる。注目したのは、この船長は財宝をたくさん持っている、という点だ。ものという財宝は有り余るほどあるのだが、魂は決して満たされない。これは、まさに現代人にも当てはまりそうだ。人間の肉体や魂が「存在してはいるが、真の意味での目的を見失った状態」を示しているからだ。

また船長は、「物質のなかに陥っている」のだが、これはどういう意味だろうか。シュタイナーはこう言っている。

「物質のなかに陥った者には、外的な人生が永遠に一様に繰り返されるのである。精神が上昇するのに対し、物質はいつも繰り返すという点で、物質的な見解は精神的な見解と区別される。精神が物質のとりこになる瞬間、精神は同じものの繰り返しから逃れられなくなる。さまよえるオランダ人は、そうなった。」

ただ、オペラを見ていて、この船長はなんだかかわいそうだな、という感を強くした。物資界に縛られてはいるが、それに苦しみ続け、救いを求める誠実さを感じたからだ。

最終的には、船長は「ゼンタ」という女性の自己犠牲的な愛によって救われる。人智学でも、「未来の人類の発展は、愛の力によってのみ成し遂げられる」と繰り返し述べている。エンディングで、船長と女性が一緒に立ち去っていく姿が印象的だった。

シュタイナーは述べている。
「あらゆる神秘主義において、高次のものは女性として表示される。ゲーテの神秘の合唱、“永遠に女性的なものが私たちを高みに引き上げる”という美しい言葉に秘められているものもそうである。」
なぜ、高次のものは、女性として現れるのかは、いくら考えてもわからない。

「さまよう」オランダ人を考えてきたが、「さまよう」の語源は「様」+「よふ(四方を行き来する)」とされる。本来は「行く先を失ってあちこち動く」「迷って歩き回る」という意味だが、現代では「道に迷ってさまよう」「心がさまよう」といった、迷い・混乱のニュアンスが強い。

人智学的にとらえれば、人間の自我が本来の霊的中心を見失って、欲望の流れに翻弄されるとき、魂は「さまよう」と表現できる。迷い・不安・宙吊りのニュアンスがあり、霊的にも「地上と霊界のはざまで定まらない魂」や「死後の方向を見失った魂」にも通じる。まさに「さまよう幽霊」だ。

一方、「さすらう」のほうは、「放浪する」「漂泊する」イメージがある。「さすらう吟遊詩人」や「琵琶法師」のように、運命に従って旅を続けるような、叙情的・ロマン的な響きがある。宿命を背負って放浪する魂の道を探りながら、一人歩く姿が目に浮かぶ。

人智学の霊的進化観で見れば、魂は転生を繰り返し、各地・各文化を通じて学ぶ。その意味で「さすらう」は、カルマを生きるために自ら選び取った放浪ともいえる。もちろん、人類全体の進化のために「遍歴」を重ねるのだ。

ここでひとつ思い出したのが、さすら姫のことである。
さすら姫は、神道の大祓詞(おおはらえのことば)に登場する、速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)のことで、罪や穢けがれを根の国へ持って行って消し去ると言われている。

「さすら姫」は、行き場を失い、放浪を余儀なくされた女性霊である姫神で、その特徴は、災厄をももたらすが、正しく祀れば福をもたらし、里と外・現世と異界など境界性を持つ存在である。

さすら姫の、女性性(受容・感受の側面)を持ちながら定住せず世界を渡り歩く姿は、人間の魂がカルマの旅を経て成長する象徴と読める。時代・文化・土地を「さすらい」ながら成熟していく存在だ。その「さすらい」は必ずしも迷いではなく、カルマに導かれた巡礼の道そのものだ。それゆえ文学や芸能において「さすら姫」は魅惑的で悲劇的に描かれる。

現代人もまた、グローバル化やSNS空間の中で、どこにも完全に属せない感覚を強く持っているのではなかろうか。それは「不安」でもあるけれど、同時に「新しい感受性を開く条件」でもある。さすら姫の「境界性」と同じく、安定した枠組みに収まらないが、そこからしか生まれない、新しい文化的・霊的な感性が芽生える可能性を持っているといえる。

「さすらう」ことによって、新しい美や霊感を媒介する使命を持つことができる。一か所に居続けている人は、幽霊船の船長になってしまうかもしれない。

明日から、ちょっとさすらいの旅に出かける。一泊二日だが…。