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それは“鬼の(仮面の)姿を実際に肉眼で観たり、そのイメージを心の中に描き浮かべたりした時、人にはどのような影響が考えられるか?”という問いです。
金峯山寺の節分会「鬼火の祭典」は、役行者が法力で鬼を呪縛し、仏法を説いて弟子にしたという故事によるそうですが、「鬼の調伏式」は「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われてきた鬼を迎え入れます。
この「鬼を迎え入れる」という考えは、「追放するべき悪」を前提にしていることに変わりはありませんが、見方を変えると人智学の認識と重なるところがあるので、とても興味を持ちました。日本における鬼(の面)には、悪を追い払う魔除けや厄除け、精神的な浄化や自己克服にある、と言われていますが、鬼を悪の象徴と解した場合、人智学では、人の中に潜在している悪を明確に認識することの意義を強調します。悪は、人がそれに意識を向けられない状況で最も力をふるう、という考え方をするのです。
知らず知らずのうちに、戦争になってしまう力、つまり、無意識的に人をそそのかし、動かしてしまう力もその一つと考えられます。そうなると、戦争の責任の所在は、誰にも意識されません。たいていの場合、個人攻撃や特定の集団や国家や民族への攻撃で終わります。歴史を振り返ってみればわかりますが、必ず「なんでこうなってしまったのだろう?」という、誰にもわからない結果になります。
人智学では、“悪魔や鬼といった存在を心の中に抱くことで、人間は「悪」や「闇」に対する認識を深めることができる”と考え、悪や闇に無意識のうちに触れてしまうことの危険性をうったえます。鬼や悪魔の像や仮面を見ると、自分もそのようになってしまうのではないか、と思いがちですが、そんなことはありません。逆です。イメージを作ったほうが、“健康的”なのです。自分の内面に存在する闇を理解する、いいきっかけなのです。ぜひ自分の中に「鬼を迎え入れ」たいものです。