人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

『世界の土偶を読む』に衝撃!

世界の土偶を読む 竹倉史人 晶文社  (キャッサバと精霊)

竹倉史人先生の話題作、『世界の土偶を読む』を読んで、目からうろこの感動を味わったので、少し感想を書かせていただく。竹倉先生とは、一度仕事の打ち合わせをしたことがあり、たいへん革新的なお考えに感心した覚えがある。

520ページを超える大作なので、ほんの一部分の感想となる。それは、第2章の「メタ・ヒューマンの世界」で言及されている“南米「マクナ」と「マクシ」の世界認知”の項である。

マクナは、アマゾン川流域に暮らす民族集団のことで、その世界観には、自然と人間・動物・精霊との共同生活が深く埋め込まれており、「人間だけが人間らしい主体を持つ」というような区分はあいまいになっている。そのことについて先生はこう書かれている。

 「物質世界のあらゆる存在は、霊的世界にその対応物を持っている。
これは、物質世界における現象としての形態(=身体)と、その本体とも
言うべき霊的実質(=霊魂)というかたちで理解されている。」

実際に、マクナの人々は狩猟や漁労の対象となる動物や魚を自分たちと同じ「人」として認知しているそうだ。動物や魚は、この「人」が物質世界において一時的な「扮装」をしているだけだという。

マクナは自然を無制限に利用するのではなく、儀礼やタブー、精霊との関係を通して「持続可能性」を保とうとする文化的な仕組みを持つ。自然破壊が進むと、それはただの“資源の減少”ではなく、宇宙そのもののバランスが壊れることと同じとみなされる。

なんという進んだ考えなのだろう!現代の文明社会で暮らしている人々は、あと何百年たったらこの境地に追いつくのだろうか?

もうひとつ。同じアマゾン川流域のガイアナに暮らす「マクシ」と呼ばれる人々のアニミズムについてだ。

「マクシ」と呼ばれる人々が栽培しているものに、主食のキャッサバがある。キャッサバと人間は相互にコミュニケートできると考えられており、実際に栽培者は、キャッサバを自分の「子ども」と呼ぶそうだ。また、「キャッサバ母」と呼ばれて、畑を管理し、作物の成長を促進する精霊の存在も信じられている。「キャッサバ母」から何らかのメッセージがあるときは、人の夢の中にキャッサバの精霊が、人間と同じ姿で現れ、人間の言葉をしゃべるという。

人智学の観点から人類学的にいう「アニミズム」を読み替えてみると、それは、古代人の自然な霊視能力の表れと見なされる。人類が遠い過去において「自然をとおして霊を直接知覚」していた、という観方だ。アニミズムでは木や山や動物に人格があるように感じるが、それは単なる「幻想」ではなく、実際に自然界に活動している霊的存在を感知している現象といえる。

人智学が見通している流れは、古代では自然を通して霊を感じる段階(アニミズム的)、近代では自然を物質として分析する段階(科学的自然観)、未来では自我を強化したうえで意識的に霊界を認識する段階(霊的科学)というふうに見ている。

アニミズム的感性を「古いもの」として切り捨てるのではなく、未来の霊的認識に橋渡しするものと評価する。有機農業で「土が生きている」と感じたり、森林を「癒しの場」と感じる、といった経験は、同じく自然霊の働きを無意識に受け取っている兆しともいえる。マクナやマクシの人々は、ひょっとすると未来人なのかもしれない。