人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

『はたらく細胞』から善悪を考える

はたらく細胞』という映画を見に行き、擬人化された色々な細胞の活躍が大変面白かったので、原作を読んでみた。各種の“悪い”細胞などを“善い”細胞たちがやっつける、というストーリーだが、単なる擬人化以上のものを感じた。細胞に限らず、“善悪”とは何かという疑問である。
AIに「なぜ善悪が存在するのか?」と聞いたところ、諸説あるが、「善と悪が存在することは、人間の自由意志と選択の結果、道徳的な基準や社会の秩序の維持、そして精神的な成長や社会の進展に対する意味のある役割を果たしていると言えます。」という結論を出してきた。見事な知的回答であるばかりでなく、言葉の表面上では、人智学の主張と重なっているところもあるが、その認識の根拠はまるで違うように思う。
はたらく細胞』に登場するがん細胞たちは、「何かの手違いで生まれ、何も悪いことはしていない」と叫ぶ。遺伝子的な原因分析など、いくつかの論説があるようだが、医学的なこともさることながら、このセリフに、「悪」自体の存在意義を考えてしまった。悪がなければ、善のはたらくところがない、とも言えるのかもしれない。