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柳宗悦は、宗教哲学者として日本の民藝の意義を広め、また深めた、日本を代表する思想家です。日本民藝館で“仏教美学”の展覧をするということを聞いて、さっそく出かけてみたのです。仏教美学という言い方は、聞きなれていなかったので、色々な仏像などを展示しているのだろうと、想像していましたが、むしろそれらは少数派で、名もない人たちが創った、茶碗や絵皿、沖縄の着物、岩偶、円空の仏像、来迎図など、実に多くのものが見られました。
仏教美学というのは、柳の造語のようなのですが、彼はこんなことを言っています。「東洋には古来優れた思索の数々があるが、中で何と云っても、深い思索の跡を示したのは、仏教であるから、仏教的原理で美の問題を考へる事に大きな意味が表れてくる。」また、「西洋は、個性美・独創・斬新さ・鋭さ・烈しさ・非凡さを求めるが、東洋は平常美を求める」という趣旨のことも言っています。なるほどと思ったのですが、柳が「美体験とは、ぢかに此目で直感して美しさを見届けることを云ふ。」と言ったことが、特に印象に残りました。
民藝館の中で作品を見ながら、気づいたことを思い出しました。普通、美術館や博物館の作品の横には、“解説”が書かれてあります。題名とか作成年とか作者の略歴とか、評論家の説明などです。場合によると、作品を見るより先にそれを読んで、頭で知ってから初めて作品を見る、ということさえあります。
民藝館の展示には、その“解説”がなかったのです。後でわかったのですが、論集のほうには書いてありましたが、その場には何もなく、自分の眼で見、感じるほかありません。この方法は、よいやり方だと強く思いました。どんな先入観も持たずに、じっくり作品を見ることに集中する、という体験はめったにないからです。
写真のものなどは、私はてっきり長崎のキリシタンの方が創ったものとばかり思っていました。後で図録を確かめてみると、何と13世紀のフランスで作られたキリスト像だとわかりました!私の予想は全く外れ、思わず「ええ?なぜ仏教美学?」と思いましたが、今日本のここにある、ということに意味があり、そこには色々な経緯があるに違いありません。キリスト像を仏教的な心で見る、ということも有り得るのかもしれません。