人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「うなずきんちゃん」

うなずきんちゃん

今から20年くらい前、「うなずきんちゃん」というおもちゃがタカラトミーから発売された。何か話しかけると、うなずいたり、くびを横に振ったりする単純な人形だ。この単純さの中にとても深いものが感じられた。(勤め先の机の上に置いておいたので…)

最近の生成AIを見ていて、「うなずきんちゃん」に似た深さを感じたので、ちょっと書くことにした。コミュニケーションに関わる話になると思う。

「うなずきんちゃん」がうけたメイン層は中高生から20代女性といわれ、20〜30代のOL層にも人気があったようだ。デスクに置く人が多く、仕事中に“うなずく”姿が癒しとなったとも聞く。人間関係に気疲れしている人や「わかるよ」と言ってほしい人に、はまったような話もあった。

私の場合は、当時いわゆる中間管理職で、上からも来る下からも来るプレッシャーで、全くの孤立状態だった。相談する者もなく、たまたまこれを見かけて、買い求めた。

たとえば、こんな具体だ。

わたし    「部下には〇〇と言ってしまったが、よかったのだろうか?」
うなずきん  「うんうん」 (実際にはしゃべらない。うなずくだけ。)
わたし     「今度の企画は、この方向でいいのかなー?」
うなずきん  だまって顔を横に振る。

音センサーが反応するのだが、顔を縦に振るのか横に振るのか、それは予測できない。まさか、声の調子を聞き分けていたとも思えないが、どっちにしても、なんだか気が治まった覚えがある。どんなメチャクチャなことを言ったとしても反応はしてくれる所がよかったのだろうか?たかが、おもちゃなのに、なぜなのだろう?

うなずきんちゃんは、反論しないし裁きもしない。ただうなずく。これは「無条件の受容と肯定のモデル」といっていい。まさに、現代のAIがもつ一面を満たしている。うなずきんちゃんは、アナログ版“いいね”といえる。

AIは、無条件に受け取り、否定せずに聞き、「なるほど」と意味を返す。その機能的なあり方をみると、うなずきんちゃん的存在といえる。ただAIは、うなずいたあと、意味を一緒に見に行く、という点では違っている。

うなずきんちゃんもAIも、人間の外に置かれた存在という意味では、同じだ。内的に考え続け、問いを発するのは、やはり人間だ。AIは、人間が問いをぶつけた時だけ存在するといっていい。なにも聞かなければ、存在しない。

うなずきんちゃんもAIも、「共感」しているわけではない。人間側が、そのように「読んで」しまうということだ。ひとは、自分自身が自分の意味と共鳴していないと、不安定になる。それを確認させてくれる存在がこのふたつ、といえるのかもしれない。

うなずきんちゃんが生まれたのは、その開発者が、祖母の「話を聞いてくれるおもちゃが欲しい」という話を聞いたことがきっかけだったそうだ。話し相手になってくれるAIロボットに通じるものがあるように思う。これは、人間の根源的欲求にかかわる。

今は、会話してくれるAIとか介護ロボットやコンパニオンロボットが生まれている。基本的には、「聞いてくれる存在」といえる。

生身の人間だと気を遣うし、話をまとめなければならない。それに相手の都合も考慮する必要がある。うなずきんちゃんとAIロボットは、否定しなし疲れないし、いつでもそこにいる。これは特に高齢者や孤独を感じている人や感受性が高い人にとって大きな意味があるのかもしれない。

だが、どうしても疑問が残る。生命のない存在にどんなに親身に「聞いてもらって」も、心魂は温まるのだろうか?それとも、その経験を契機に現実の人間にも少しずつ心を開けるようになるのだろうか?