
成田山新勝寺の公園で、咲き始めたサンシュユと終りかけているやぶ椿を見かけた。それぞれの姿や花の付きざまから受ける印象はかなり違う。参拝をしながら、その象徴性を考えてみた。
サンシュユ(山茱萸)は、早春に黄金色の花を咲かせる落葉小高木で、とか、やぶ椿はツバキ科の常緑高木で、とかの植物事典的なことは、いくらでも調べられるので、省略する。
気がついたのは、サンシュユには葉が見られない、という点だ。枝からすぐに花が開いている。“葉より先に花”が咲く、というのは、素人目には不思議な感じがする。植物は、葉の光合成によって栄養を貯め、花が咲く、という風に理解していたからだ。そのような栄養の循環がないのに、なぜ咲くことができるのだろう?
と思って調べたら、葉より先に花が咲く植物はたくさんあることが分かった。ウメ、サクラ、モモ、ロウバイ、レンギョウなどなどおなじみの花ばかりが並ぶ。花先行の生態的な理由は、「光を独占できる、葉がないので昆虫や鳥に見つけてもらいやすい、前年に貯めた養分を使うため咲ける」ということらしい。
どれも共通して、内に蓄えた力で現れ、光の到来を告げる、という性格が感じられる。「前年の内的蓄積によって、誰よりも早く光の中に現れる存在」といえるだろう。
人智学的植物学では、花は宇宙性を表し、葉は地球性を表すという見方をしている。根は地球の力を、葉は呼吸による地球と宇宙のバランスを、花は宇宙・光・霊性をという対応をみている。花が先に出るとは、宇宙性が先に現れるといえる。光が増える早春に葉を展開せずに花を出す植物は、地球的プロセスを待たないで、宇宙的呼びかけに直接応答している存在だ。
葉が先に展開する植物は、地球の生命共同体として生きている。ブナ、カエデ、ツバキ、ツツジ類などだ。まず、光合成によって世界と呼吸する。関係性の中で成長する存在といっていい。
ここからは、想像力の領域かもしれないが、花先行型的衝動を人になぞらえると、預言者・芸術家・霊的先駆者だろうか。一人で道を開き、直観的で、孤独に強いタイプだ。葉先行型の人は、チームで力を発揮し、共感的でプロセス重視といったところだろうか。花先行型の典型はイエス・キリスト、 葉先行型は釈迦、と言ったら言い過ぎだろうか。あまりに空想が過ぎると不動明王に怒られそうなので、この辺でやめておく。