人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

『坊ちゃん』と、正義と愛とシュタイナー

漱石忌をひかえて、こんなことを思った。

夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる数学の教師、山嵐。そのモデルとなったのは、隈本有尚(くまもとありたか)という、漱石に数学を教えた教師だ。東大の卒業式で「人間の真価は紙切れ一枚で決まるわけではない」と啖呵を切って卒業証書を破り捨ててしまったという。まさに山嵐のような豪胆な人物だ。

洋行した隈本は、シュタイナーの思想と出会い、以降、人智学を研究し、日本に紹介するようになる。実際にシュタイナーに会ったかどうかは、確かめられない。

隈本はシュタイナーから人智学を学び、隈本は漱石に数学を教え、漱石は隈本をモデルにした人物を山嵐として『坊ちゃん』に書いた。という間接的なつながりがあるのだが、だからと言って、漱石が人智学を知っていたかどうかは、わからない。漱石の作品の中を探ってみても人智学的な思想を見つけることはできないが、何か見えない糸があるような気がする。

作品中、坊ちゃんと山嵐は、「正義感」の一点で強く結ばれている。こんな一文がある。「山嵐は粗暴なようだが、おれより智慧のある男だと感心した。」 漱石自身、山嵐こと隈本に好感を抱いていたように想像できる。

この「見えないつながりの糸」とは、別のことかもしれないが、『坊ちゃん』を読んで最も心を動かされたのは、清(きよ)のことだ。正義を貫く生一本の正直な人生を陰で支えていたのが、清だ。

『坊ちゃん』における清への愛情は、作品中最も深く、しかも繊細に描かれた。坊ちゃんにとって清は、母のようであり、姉のようであり、唯一無二の味方だ。幼いころから彼の奔放さを叱りながらも、誰よりも理解し、愛してくれた存在。坊ちゃんは彼女のことを「清がいなければ自分は生きていけない」とさえ思っている。

松山で理不尽な人間関係に巻き込まれても、坊ちゃんは清を思い出すことで自分の“まっすぐさ”を保てるのではないか、と思えるほどだ。

漱石自身も、家庭の温かさを得られなかった幼少期を送り、「自分を本当に理解してくれる存在」を求め続けた人だ。その投影としての清は、作者にとっても「失われた母」あるいは「人間愛の理想像」だったと思える。

清を描いた文章を少し引用してみよう。

「こんな婆さんに逢あっては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。」

「それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰返して頼んだ。」

「あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。」

「それにしても早くうちを持ての、妻を貰えの、来て世話をするのと云う。親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。」

「おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行ゆく事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰てやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と云った。」

「「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目に涙が一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。」

「汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。」

「おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。」

「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋て下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。」

そして、この小説は、この一文で終わる。

「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」

この一文には、『坊ちゃん』のすべてが濃縮されている。この文から立ち上る気品といったら、何ものにも喩えられないくらいのものだ。笑いと正義の物語の奥にある「愛あふれる人間の純粋さ」へと静かに帰着していく、そのことが、この短文に込められている。

坊ちゃんが語ってきたすべての出来事、清の愛、松山での奮闘、世間への反発、それらがすべて「だから」という一語に情緒的な因果として収束している。

清はあのように生き、あのように坊ちゃんを愛した。だから、いまその墓はこの地に静かにある。説明でも感傷でもない、事実としてのやさしさ。それが、他では絶対に見られない気品を生み出している。

「小日向(こびなた)」と発音する地名が、文章の中にある音楽的な美しさを特別に印象づける。最後は「寂しい」とも「悲しい」とも言わない。ただ「ある」と言う。この感情の抑制こそ、漱石にしかできなかった文学的な気品の根だ。坊ちゃんの締めは、小説ではなく、抒情詩に変貌している。

最後の一文は、「清の魂は今もそこにいる」と伝える祈りのようだ。「だから、彼女の光はいまも“日のあたる場所”にある。」つまり、小日向にある。

坊ちゃんの最後の一文は、「死を越えてなお生きる愛」を封じた、まさに日本語文学の最高に奇跡的な瞬間といえる。

小日向は日ごろよくそばを通るのだが、養源寺という名のお寺はない。ないからこそ、探したくなる。