人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

グリフィンを読み解く

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動物を襲うグリフィン
<スキタイの美術について少し学んだので、まとめてみた。

スキタイ人は古代東イラン遊牧騎馬民で、主に現在のウクライナと南ロシアに相当する地域に住み、前7世紀頃から前3世紀頃まで草原の領土を支配していたと言われている。

その遺跡から、紀元前4世紀ころのものと思われる「黄金の胸飾り」が出土し、そこに馬を襲うグリフィンの姿が刻まれている。

グリフィンとは、獅子の胴体にワシの頭と翼のある幻獣で、黄金を守るといわれている。井村君江先生によると、「ギリシア神話ではゼウス,アポロンの車を引き,聖書ではエデンの園の門番をし,エジプトでは悪神セトの象徴,さらにバビロニア神話では水の悪魔ティアマトの信者。中世伝説では聖地エルサレムの〈グリフォンの爪〉は,病を治す魔力があると信じられていた。」そうである。

この獣に興味が湧き、神話が成立した源と人智学的解釈を知りたくなった。

人智学の視点では、神話上の動物ではなく、霊的象徴として観ることになる。上半身である鷲は、天・光・精神・洞察・意識を象徴し、下半身の獅子は、大地・意志・力・勇気・本能を象徴しているとみる。この二重性の結合は、「精神と物質」「天と地」の結びつきを意味している。

両者の結合は、人間が思考(鷲)と意志(獅子)を調和させる道を象徴する。「心魂の均衡」「人間の内なる王国の統治者」としての我の表現といえる。

ひとつ、疑問に思ったことがある。なぜグリフィンが動物を襲うモチーフが創られたのか?という問いだ。考古学や図像学は表面的な推測しか答えてはくれない。

グリフィンは、「天と地」「霊と物質」の統合を象徴する存在だが、この「二つの原理」の統合は、完全に調和的であるとは限らないのだろう。それはしばしば激しいエネルギーの衝突、つまり霊的力が物質的世界を貫こうとする戦いとして現れている。グリフィンが地上の動物を襲う姿は、霊的な力が下位の生命原理を克服し、支配しようとする象徴のように思える。

人間の内部でも、欲望や本能いいかえると地上的動物性を、霊的意志が「襲い・支配する」場面があるわけで、そのプロセスを目に見えるようにしてくれているのがきっと、この「動物を襲うモチーフ」なのだ。

馬が象徴する「情動、欲望、生命エネルギー」、牛が象徴する「物質性・繁殖力・地上への結びつき」。グリフィンがこれらの動物を襲うのは、霊的原理が、低次の欲望的・物質的な生命エネルギーを支配することを象徴している。それは「破壊」ではなく、むしろ「昇華」や「変容」のプロセスだ。地上的本能が霊的意識へと引き上げられる過程が、「捕食」の形で象徴的に描かれたと考えられる。

古代ペルシアやギリシアでは、グリフィンは「金を守る存在」としても有名だ。金は人智学的に「太陽的本質」「霊的中心」「我」を象徴するので、グリフィンは“霊的太陽の力”の守護者であり、下位の衝動を超える存在。そのために、彼が「他の地上的生命を襲う」姿は、太陽的意志が物質的生命を制御する戦いを表していると読める。

神話や芸術ではその力強さ・畏怖が強調され、「恐ろしい猛禽獣が獲物を奪う」イメージとして定着した。それは、人間が霊的な力をまだ理解しきれなかった時代に、神的力の“圧倒的側面”として経験されたからだ。

今、ウクライナを襲っている存在は、はたしてグリフィンなのか、それとも、全く違うものなのだろうか?