ローマへ観光旅行に行った時の写真を整理しながら思い出したことを書く。
シュタイナーが言った言葉、
「ローマに行きたければ、私たちが赴かねばなりません。ローマは来てくれないのですから」
という、ちょっと不思議な発言だ。
どういう真意があるのか、長年わからなかった。確かにローマはここにきてはくれない。でもなぜ、そんなことを言うのだろうと。
「ローマ」を地理的な場所ではなく、「高次の世界」「真理の源泉」と読み替えれば、“それらを得るには、自らの積極的な思考・意志・努力によって初めて到達できる。外から与えられるものではない。”という解釈ができる。
シュタイナーがこの発言をした当時の、宗教的・神秘主義的風潮に対する警鐘だったと思われる。その風潮とは、「救いは上から与えられる」「啓示は待つもの」という受動的態度のことだ。
「ローマが来てくれない」とは、真理を体現する存在、高次の存在は、人間の自由意志を尊重するため、人が求めて歩み寄らない限り接近してこないという意味だろうと思われる。
「自由意志を尊重」というところがポイントだ。シュタイナーは、待つことの大切さも強調しているからだ。「自ら歩むこと(行くこと)」と「待つこと」を対立ではなく、協働する行為として見ていた。努力ののちに心を静め、高次の存在からの働きを受け入れる「器」になる必要がある、という考えだ。
『いかにして高次の世界の認識を獲得するか』にはこう書かれている。
「人は自ら努力して高次の感覚を開こうとしなければならない。
しかし、その力を押し進めるだけでは、霊界に暴力を振るうことになる。
真の認識は、努力のあとに訪れる静けさの中で与えられる。」
高次の存在は人間の内的準備が整わない限り、近づかない。そのため、人間は十分に準備ができていない人は、“呼び寄せる”ことはできない。
「ローマに行く」ために努力し、「ローマが現れる」ために待つ。ということか。
ローマ人の精神生活をよく知ることができたなら、またローマに行ける縁がめぐってくるかもしれない。