
だいぶ前のことだが、自我野さんが書かれた『崖っぷちの自我』というまんがに大変衝撃を受けた。
“自我野さんは、プロの漫画家を目指して上京し、アルバイトで生計を立てながら漫画を執筆するという、まさに“崖っぷち”の毎日を赤裸々に綴っている。それでも、自分を信じて描き続ける作者の姿が、落ち込んだ心にしみじみ響く…。”
という内容紹介は、よくある表面的な説明で、この漫画には、「自我とは何か、孤独とは何か」という、とても深いテーマが隠れている気がしてならない。作者のリアルな葛藤や不安は、どこから来るのだろうか?
人智学では、「誰も理解してくれない」「世界から切り離されたように感じる」孤独に直面することが、自我を強化するのに欠かせない、という観点をもつ。孤独を通して、初めて「外から与えられた支え」ではなく、内なる自己をよりどころにできるようになる、と考える。
ただし、孤独を最終目的としては捉えていない。孤独をくぐり抜けて、個我が自立したあとにはじめて、「自由な人間同士の共同体」が築ける、という風にみる。
「崖っぷちの自我」という作品は、自我が直面する危機や不安、孤立感をユーモラスに、あるいは風刺的に描いていると理解できる。まんがでは、自我が追い詰められて「もう後がない」「落ちそう」という状況が多く描かれるが、「自我の発達には必ず‘崖っぷち’のような危機の体験が必要」という人智学の見方と同じだ。高橋巖先生がよくおっしゃっていた、「人生には悪戦苦闘が必要です」という言葉が思いだされる。
また、まんがでは、崖っぷちの自我がしばしば「小さな存在」、「笑ってしまう存在」として描かれるが、人智学では、「不安定さや未熟さは時に滑稽でもあるが、しかし、そこにこそ自由と創造の可能性がある」という視点を持っている。
また、自我があれこれ試みるが失敗し、結局ギャグとして笑われるシーンも多いが、人智学は「人間の自我は、宇宙の霊的存在たちの中で最も不器用な学習者」と語る。失敗を重ねることでしか学べず、その姿は時に滑稽であるが、笑いは、人間の未熟さをあたたかく包み込む応援力とみることもできる。
まんがのキャラクターは「孤立しがち」だが、読者はそれを笑いながら共感することで「共有体験」をする。これはまさに、作者と読者の共同体が創られる、と言っていい。共同体の創造という人類の大目標をこの漫画は描いている。
自我野さんはその後どうしているかな、と思ったが、最近もSNSの書き込みなどもされており、少し安心した。