人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

サン=テグジュペリの『人間の大地』について思ったこと

『星の王子様』で知られるサン=テグジュペリの新訳版が出され、その書評を読んで思ったことを書きます。
今回出されたのは、『夜間飛行・人間の大地』ですが、書評では、彼のことを、科学時代の申し子でありながら、豊かな詩情と誠実な思想を書いた作家だったと言っています。また、墜落事故の後、イスラム系の遊牧民に救われ、人間だれしも持つ「気高さと博愛」を砂漠の民が教えてくれたことに注目しています。
この書評の内容には、全く同感以上の感服を感じましたが、私が以前から『人間の大地』から、感じ取ったところは、別の記述の中にもあります。

『星の王子様』で、「本当に大切なものは目に見えない」というセリフが有名ですが、これは、「見えないものこそ、魂の根幹を成している」という風にも読めます。だからと言って、人間は魂や精神の存在なのだから、そのことだけに向かわなければならない、という考えに続いてしまうと、それは人智学の考え方とも離れていきます。人智学では、魂や霊のことをたしかに語りますが、むしろ“物質界でどう精神的に生きるか”を重視します。

私が注目したのは、Ⅲの「飛行機」のエッセイとⅧの「人間たち」の一節です。

●「技術の進歩を過度に恐れる人たちは目的と手段を混同している。たしかに物質的な富を獲得するだけを目指して技術革新に邁進しても、生きるに値するものは何も得られないだろう。だが、機械は目的ではない。飛行機は目的ではない。あくまで一つの道具、犂と同じ一つの道具だ。」 

●「まだ顔のない新築の家に命を吹き込むべきときだ。かつて真実は家を建てることにあった。だが、僕らにとって、真実はその家に住むことにある。」

● 「僕はこの本の中でずっと、天から授かった使命を黙々と遂行した人たちの話をしてきた。いずれも、ほかの人が修道院を選ぶように、砂漠や空の道を選んだ人たちだ。」

●「(ヨーロッパには)あらゆる職業を連結させる歯車装置の中に組み入れられ、先駆者の喜びも、信仰の喜びも、学究の喜びも味わえずにいる人たちもいる。」

この四か所の記述には、魂とか霊などの言葉は直接には見当たりませんが、地上の物質界で働く人々の状況を読んでいると、まるで人智学の本を読んでいるような気にさせられます。サン=テグジュペリが同時代と言ってよい人智学のことを知っていたかどうかは、今のところの調査ではわかりません。
でも、どちらも機械文明がすべてを支配している、という認識では同じように思えます。「支配している」というと、まるでそれを批判しているかのように聞こえるかもしれませんが、単に事実を述べているだけです。現代や近未来を考えると、「AIがすべてを支配する」と言い換えたほうがいいかもしれませんが。

サン=テグジュペリは、単に空を飛んだのではなく、人間という存在の「地平」そのものを飛び越えようとした詩人であり、哲学者だったとも言える気がします。そこが人智学的に思えるところです。サン=テグジュペリは、不完全で過酷な物質世界の中で、どう生きるかを問い続けました。彼にとって飛行機は象徴的な道具であり、「危険」や「孤独」や「死の現実」に真正面から向き合うための勇気養成舞台です。魂や心を鍛えるには、苦しい物質世界が必要だ、とも言えます。

サハラ砂漠で死の恐怖の中にあったとしたら、果たして私は、友人や愛する人への思いやりを失わずにいられるでしょうか?