現在、東京国立近代美術館でヒルマ・アフ・クリント展が開催されており、大変な話題となっている模様だ。彼女は、カンディンスキーやモンドリアンらの同時代のアーティストに先駆けて、ユニークな絵画を作り出した画家として、ここ40年くらいの間、急速に評価が高まっている。
同展の図録の説明や研究書、評論を読んでみて、全体的にはとても親しみが沸いた。彼女が、人智学の創設者のルドルフ・シュタイナーに多くのことを学んでいたからだ。
彼女は、王立芸術アカデミーを優秀な成績で卒業したあと、神秘主義などの秘教思想などに傾倒し、交霊術の体験を通して新しい表現を生み出したことが知られている。これらの絵画を“抽象”絵画と言う評が多いが、従来言われている範疇の抽象絵画を超えたものを感じる。何かのジャンルに収めることができない、今まで誰も見ることがなかった、言わば“人が認識を深め、広げた時に見えてくる絵画”と言えそうな気がする。今のところ、美術用語でこれを表現する言葉はなさそうだが、光学で喩えれば、“紫外線と赤外線の色が見える”人が描いた絵と言えるかもしれない。
色々な評論を読んで、ほとんどすべてに納得がいったのだが、一つ、どうしても引っかかるものがあった。それは、新聞に載っていたもので、その個所を引用してみると、
“妹の死を契機に人智学に傾倒したとされ、女性たちとグループを組織し、精霊たちの導きのもと降霊会を開催、「高次の存在」からメッセージを受け取って膨大な量の絵画を制作した。” の所である。
句点で区切られた四つの部分は、それぞれまったく正しいのだが、このような順で文章を書くと、それぞれの内容の関連性・発展性について誤解される方もいるのではないかと思い、書かせていただく。
妹のヘルミーナがなくなったのは1880年、降霊会に参加しだしたのは1896年、ヒルマが神智学協会に参加したのは1904年、人智学協会が設立されたのは1913年である。
これを書かれた方の言葉じりをとらえて、批判するつもりは全くないのだが、人智学は単なる神秘主義ではなく、別名で精神科学と言われるように、自然科学以上の厳密さを求められる。それで、書かずにはいられなくなったのだが、[人智学に傾倒することによって降霊会を開催]したと読んでしまうとそれは誤解となる。
年代に関係なく書いているのだ、と言われれば、何も言うことはないのだが、文脈の流れを追っていくと、やはり、誤解につながる可能性がある。
なぜ、こんなに細かいことにこだわるのかというと、ヒルマ・アフ・クリントがまず影響を受けたのは、人智学ではなく、ヘレナ・ブラヴァツキーが提唱し、世界的に受容された神智学だからだ。また、人智学協会を設立したシュタイナーは、このような主旨のことを言っている。
「人間が霊的世界に接近するためには、自我の明確な意識と自由意志が必要。交霊会での霊的体験は、トランス状態や無意識の状態で起き、本人の意識が関与しないことが多い。このような受動的な体験は、「霊的な真の認識」ではなく、むしろ危険である。」
霊性を重んじながらも交霊術に依存するアプローチには懐疑的だったシュタイナーは、「霊媒師のように描くべきではない」とヒルマに助言しているようだ。
その後、ヒルマの作品群である「神殿のための絵画」に対してシュタイナーは、丁寧に解釈し、ヒルマに自分が何を書いたのかを教えている。シュタイナーはまた、ヒルマに『これらの作品は50年後にしか理解されないだろう』と語ったそうだが、「神殿のための絵画」が完成した1915年から、110年経つ。魂が引き込まれそうになる絵を一度ご覧になってみたらいかがでしょうか?