人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

人生相談で、「生きる屍です。」

新聞の人生相談欄で「今は生きる屍」という言葉が眼に入ってきて、驚くと共に

やはりこういう若者が多いんだな、と感じる。

多くの若者に接し、話してきた経験から言うと、「自分が本当は何がしたいのか、

わからない」という人が少なくなかった。その人たちは、大抵良い大学を出、

しっかりした企業に勤め、社会的に意義のある仕事をしている人たちである。

悩みを訴えている20代の男性は、「友人も恋人もいて、一瞬一瞬の楽しさはある」と

言っている。また、「趣味を持とうとしても見つからない」とも言っている。

回答者は、「日常のささいな感動を言葉にするとよい、そうすれば何を

望ましいと感じるか可視化できるかもしれない」等と答えている。

確かに、よく見かける回答でまことにもっともなのだが、この悩みの根は

非常に深いところからきているように思う。

一つは、子供時代の教育の受け方である。個性尊重と言いながら、一方で

大量の知識を強制的に注入し、学力をつけさせているのが、今の学校教育の

核になっているといってよいと思う。

これでは、自分の道を探し出すことは難しくなる。