『心の傷を癒すということ』を読んでいくテレビ番組を見ていて、すぐに思い出したのが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という略語だ。強い精神的なトラウマ(心的外傷)体験によって生じる特徴的なストレス症状のことだが、その“対になる”現象もあることを学んだ。
それは、PTG(心的外傷後成長)と呼ばれる。辛く困難な体験で強いストレスを受けた後に心が成長することを指す。その要点は、ストレスから「立ち直って回復する」だけではなく、「変化してより強くなる」点にあるそうだ。困難を通じて、今まで持っていた考え方や感じ方、価値観や行動様式を変えることで、より人間が大きくなれると言っていい。一種の“変身”と言っていいかもしれない。ただ、比較的長い年月がかかると思われる。
昔、映画評論家の淀川長治さんがよく「苦労来い!苦労来い!」とおっしゃっていたのを思い出すが、単純に“苦労人は偉い”ということでもなさそうである。
PTGの研究が始まって、まだ20~30年くらいだそうだが、人智学を創ったルドルフ・シュタイナーは、1910年の講演で同じ趣旨のことを話している。一部、中略しながら引用してみよう。シュタイナーは、“強い精神的なトラウマ”とは言わず、“重い運命の打撃”という言い方をしている違いはあるが、趣旨は同じと思う。
「ある人物が25歳の時に、苦痛をもたらす重い運命の打撃を受けたとしてみましょう。観察を進めて、その人物が50歳になった時点で観察してみましょう。そうすると“この人物は勤勉で活気があり、有能な人間になった。20歳のころ彼はまだ怠け者で何もする気がなかった。25歳の時に思い運命の打撃を受けた。それが原因となって、彼は50歳で活気のある勤勉な人間になったのだ”とみることができます。」
この講演では、運命の打撃を単なる作用として考察すると誤る、と言っている。「その打撃はなにを引き起こしたのか」と問う必要を訴える。「先行した現象の結果として見ずに、その打撃を後続の出来事の始まり・原因としてみるなら、この運命の打撃に対する感情判断は本質的に別のものになることがわかります。」と主張している。25歳の人物の例で言えば、「その人物が立派な人間になったのは、その運命の打撃のおかげだからです。」とも言っている。トラウマになるような出来事を作用とみるか原因とみるかで、感じ方は別のものになる、という考えは、PTSD とPTGが対になっている考え方であるというのと同じであり、100年以上前に、同じとらえ方があったことに驚く。
PTGは、新しいカウンセリングの元となる考え方になりうると思うが、ある程度アカデミックに研究されている。例えば、“成長“を、何の領域で測るのか、といったことである。①「他者との関係」にまつわる成長、②「新たな可能性」が生まれてくるような変化、➂「人間としての強さ」と呼ばれる領域、➃「精神的な変容」と呼ばれる領域、最後に第5の領域は「人生に対する感謝」だそうです。
このうち、特にシュタイナーの考えと同じくするのは、四番目の「精神的な変容」で、信仰や宗教を新たに考え直すとか、魂や死について、思ってみる、とかがそれにあたる。