人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

『ねこいぬ漫画かき』で心が溶けたこと

『ねこいぬ漫画かき』西原理恵子 新潮社

ふだん、精神世界に関連した本ばかり読んでいると、上空から人間を眺めるという片寄ったクセが、気が付かないうちについていることに“ハッ”となることがある。

特に今年からは、世界史の本の執筆準備で大量の歴史資料にあたっているので、少々困憊気味だ。たいへん勉強にはなるが、ときには、気分転換したくなる。

ボーっとしていると、頭に「西原理恵子さんの漫画ってどう?」という思いが突然わいてきた。なぜなのかは、まったくわからない。

この際だから、西原さんは最近何を描いているのかなと思い、調べてみると、『ねこいぬ漫画かき 1』という本が出されていた。

出版社のメッセージには、こうある。

笑いあり、癒しあり、せつなさありのサイバラ流センチメンタルコミック!アメショーの文田文治さん、菊美さん、こぶの愛猫3匹に加え、新たにやってきた保護犬のゴールデンレトリバー、ぽんさん。怖がりで人見知りで外が嫌いだけど、90代で超毒舌の母・淑子すらも思わず慈しむかわいさで、かけがえのない日々が始まる。

すぐに買い求めてしまった。

彼女の作品は、貧困や家族の崩壊、アルコール依存、暴力、社会の底辺といったテーマを、遠慮なく描く。そう、「遠慮なく」が素晴らしいのだ。強烈なギャグと自虐的ユーモアもユニークだ。絶望を直視しながら、なお生きるためのこの「技術」!どうやったら手に入るのだろう、と思ってしまう。

『ねこいぬ漫画かき 1』は、猫と犬との奮闘物語だが、「糞闘」ともいえる。臭いのに、救済はない。それでも一緒に生きていく姿。これを描けるのは彼女しかない。

「人間を正面から描くと重すぎる」というテーマを、彼女は書いているのかもしれない。粘度の高いドロドロをユーモアで薄めた形で見せる、という感じだろうか。

この作品にでてくる猫と犬は、「空虚を埋めようとしない」。食べて糞をして、ただ生きている無垢な存在だ。人は自我があるので、必ず「埋めよう」とするし、もがき苦しむ。当たり前のことなのだが、それを絵で見せられると、「本来のあり方」とは何だったのか、考えさせられてしまう。

“軽い形で深いものに触れる”ことは、たいへん難しいと思うのだが、彼女はそれをやってのけていると思う。深いものの一例が「地獄」だ。彼女の作品は、ある意味で「地獄」を描いている。それも、「軽やか」に。

それは、「救う」のではないのだから、お地蔵様ではないだろう。そうすると、何なのだろうか。「打たれ強い人」なのか。鈍感なのか、図太いのか、愛のエネルギーが強いのか。

普通の人は隠したり抑えたりして「なかったことにする」ことを彼女は全部ネタにしている。自分の経験を外に見える「漫画」という形にしたこと、これが素晴らしい。彼女の場合は、漫画が鏡だった。どんな人でも、自分の鏡は持つことができるように思う。