人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

画家のフランシス・ベーコンについて

『ジョージ・ダイアーの三習作』(1969)

大江健三郎が画家のベーコンについて語るテレビを見て、初めてベーコンを知った。激しくデフォルメされ、大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像などに衝撃をうけた。また、言いようのない不安感が残る。

「激しい感情や恐怖、孤独、葛藤をテーマにしている」、などと言われているようだが、ベーコン自身は、「事実の残酷さの描写」と言っている。

一度見たら忘れられないような絵なので、当分脳裏から消えそうにないのだが、精神科学的な解釈を試みた。

ベーコンの人物像は、顔や身体が溶けたり、裂けたり、歪んだりしている。これは、20世紀という機械化された世界での人間の魂の状態を「正直に」表現した結果のように思われる。“感情の反動力が肉体を引き裂いている”とでもいうのだろうか。

人物は、ガラス箱や無機質な空間の中に閉じ込められている。これは人間を孤立させる硬い空間が、生命を機械化させている象徴とみられる。魂が身体に閉じ込められておこる叫び。それがベーコンの特質のように感じられる。本来生き生きした力が無理やり固定されれば、当然、歪んだり裂けたりするだろう。

20世紀はある面では、人間が物質に過度に沈む時代といえる。ベーコンはそれを素直に暴露した。絵を見るものには、恐怖や不安をもたらすが、「それが事実だ」、と言ったのだと思われる。

精神科学では、「歪みを暴露する芸術は治癒の前段階である」、という見方もする。19世紀は幻想の崩壊、20世紀は魂の病の露出、という流れの延長には、「再統合」的なものが続く、という見方だ。

「きれいごとばかりの世界は嘘だ」という直感は誰にでもある。また、昨今の世界情勢をみると、「人間は本当に理性的なのか?」という疑いを、多くの人が持っているのではないだろうか。一種の自己幻想を壊す芸術は、常に登場してきた。その一環がベーコンであるに違いない。

「自分の中の悪を直視する」段階を越えた、未来の絵画はどのようになるだろうか?ちょっと想像がつかないが、なにか、聖なる美でも露悪でもない「魂が変容する芸術」のような感じだろうか?それは、感情を刺激するものではなく、意識と思考を目覚めさせるようなものなのか?

現代の絵画にその兆候が見られるかどうか、探っていくことにしたい。