天皇誕生日という祝日に、「まったく天皇のことを考えない、意識にも上らない、問題にもしない」、のはちょっと気が引けるので、考えたことを書く。
日本国憲法第1条では、天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」であることを明記している。これはもちろん、天皇は国家元首ではなく、政治的権力を持たず、国民の総意に基づく存在であるということだ。それでは、「象徴」とはいったいどういうことなのだろうか。
ユング的にみると、天皇は日本人の集合的無意識における「中心の空」の役割を持っている。支配せず常にそこにいる存在だ。これは日本文化の「和」という特性である調和志向と深く関係している気がする。
そう考えると次には、天皇と日本民族の関係はどうなっているのだろう、という疑問が生まれる。日本社会は強い個人中心でもなく、強い契約社会でもない。日本ならではの「和的共同体」のようなものが、日本民族の一面を表しているように思えるのだが、この共同体をいわば「体現」している存在が天皇なのではないか。精神的には「象徴」と表現されるが、テレビで見る姿は、「体」を持っている。
どこの国でも、固有の民族といわれるものは、それぞれ言語、気候、風土、感情様式、思考様式などを持っている。その働きは、文化、詩人や宗教者にとくに顕著に表れる。民衆にも無意識的だが、強力に表れているはずだ。
日本の場合、象徴的に見ると、天皇は民族精神と地上共同体の接点として機能してきた、と読むこともできる。地上共同体とはすなわち民衆のことだ。民衆を「一人の人間」で表したものが天皇、という見方もできる。そこでの天皇はいわば、「祭祀王」だ。この場合、祭祀とは「祈り」と同じで、天皇のお言葉を振り返ると、常に「祈りと願い」を繰り返しているのがわかる。天皇は支配せず、主張しない。平安を祈るだけだ。
国民のためにこれほど祈ってくれる存在がほかにあるだろうか。