プレバトというテレビ番組で、表題の句を見たとき、静かな衝撃を受けた。この句で、「願わない」とわざわざ言っている心には、どんな事情が隠れているのだろう、という思いを抱かせる。
どうやら、男女の別れを詠ったもののようだが、普通なら‘願う’とか、‘祈る’とか、‘思う’とかが来る所で、やや強い意志的な否定表現が置かれている。しかも舞台は「雪の駅」だ。「願わない」には、冷酷さでも無関心さでもない、それとは反対の心が感じられる。
「君の幸せを願わない」は、君のこれからの人生に自分の祈りを差し込まない、という態度にも読める。そう読むと、これはかなり成熟した距離感覚だ。願うことは、時に暴力になる。雪の駅に立っているのは、「君を見送る者」であって、「君を支配したい者」ではない、という風にも読めてくる。この句は、冷たいのではなく、むしろ怖いほど優しいと言えるような気もする。
駅は、もう同行できない地点といえるし、雪は、涙を抑える背景となる。この句からは、立ち尽くす時間だけが流れてくる。
ふつう人は別れの瞬間には、幸せでいてほしい、うまくいってほしいと思うだろう。忘れないでほしい、という感情もある。しかし、この句の語り手はあえて願わない。願ってしまったら、まだ君を自分の物語に縛ってしまうから、と思ったのだろうか。別れのあと、お互いに強く自由に生きていくために、祈りすら手放す。これは、とても厳しい愛ともいえる。こんな静かで覚悟のある別れがあるだろうか?
「愛しているから願わない」という心情は、どのようなものだろうか?
相手の未来像をこちらが勝手に決めてしまわない、という風に考えたらどうだろう。「君の人生には、君自身が引き受けるべき意味がある。そこに私の希望を重ねない」という態度だ。相手のカルマを尊重する愛といえそうだが、突き放しすぎだろうか?どこまでも同じ運命を一緒に生きていくんだ、という覚悟があれば、別の話になるかもしれない。
神田川という歌を思い出した。「ただ貴方のやさしさが 怖かった」というフレーズだ。「やさしさが怖い」というのは、やがていつかはそれが薄れ、なくなっていくかもしれないことへの不安だろうか。もしそうなら、これはまた別の物語だ。「願わない」人も、「怖い」と思う人も、本当に誠実で純粋な透明な心を思わせる。