今日は大寒という日だ。二十四節気でいう大寒は、太陽の力が最も弱く、地上の生命活動が最も沈み、自然界がほぼ呼吸を止めたように見える時点をいう。
外が静まりきると、自分の内面の声がはっきり聞こえてくるような感じになる。だが同時に、なんとなく生命力が弱まっているような気もする。
大寒は、「何も起きないことに耐えられるか」が問われる日だともいう。精神がなにも語らない日、そんな日でも人が立っていられるか、を試される日ともいえるかもしれない。ふつう人は、今日何ができたか?何をなしたか?を問う。それを問えない日が大寒の本来だ。
テレビも音楽も消して、誰とも話さずに一日過ごしてみると、「自分ってこれがないと落ち着かないんだ」とか「逆に、これはなくても平気なんだ」ということが分かることがある。大寒の日は、自然がそれを勝手にやってくれる日なのだ。
真冬の朝、駅のホームでじっと立っているとき、テンションもやる気も関係なく、ただ「立ち続けられるか」、「姿勢を崩さずにいられるか」だけでいることがある。大寒の日は、それと同じで、気分や感情がはがれて、土台だけが残る日といえるかもしれない。
昔の人は、大寒の頃に「型」をやった。剣道の寒稽古や、寒中水泳だ。寒い中で型を崩さず、順番を守り、呼吸を乱さない。それができると、「自分はちゃんと立てている」ことが確認できる。大寒の日は、人が自分の芯を確かめるのに一番正直な日なのだ。
凍った池、葉が落ちきった木、風のない夜、雪化粧した大地、それらを見ると、寒々とした外的印象の向こうに、自分の内面が見えてくるような気がしてくる。
シュタイナーはこの時期について、「闇の中へ熱い魂を導き入れる」といった趣旨の言葉を書いていた。まもなく光の季節がやってくる。