人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

人工甘味料の快楽と危険

人工甘味料

味覚についてのテレビ放送を興味深く見た。自然科学は、こんなところまで解明しているのだな、と感心するとともに、疑問も生まれた。

自然科学的な味覚の定義は、「舌や口腔内の味蕾が、溶解した化学物質を受容し、神経信号として脳に伝える感覚」で、栄養だけでなく、毒や腐敗の検出という、命を守るための機能も備えている。

驚いたのは、味覚を感じる細胞が舌以外にもあるという事実だ。味覚受容体は、胃腸、膵臓、肺、気道、脳、精巣・卵巣など、全身に分布しているそうだ。なんと、まぶたの裏にもあるとか!

例えば、腸にある味覚受容体は、甘味はインスリン分泌を促進し、旨味は消化酵素を分泌し、苦味は蠕動を抑制したり排出を促進したりしているそうである。胃を過ぎた後でも、「本当にこれは取り込んでいいのか?」を再審査しているのだそうだ。人間の体はなんと賢いのだろうと思う。

味覚の機能をなぜ舌だけにしなかったのか?という疑問がわくが、食物は変化し、体調も変わるし、毒は後から作用することもあるから、分散型センサーのほうが生存率が高く、舌だけに任せるのは、あまりにも危険だった、という回答が自然科学的解釈だ。

ここで、現代でかなり普及している人工甘味料は、体にとってどうなのだろう?という疑問がわいたので、調べてみた。

人工甘味料の本質は、「意味のある信号、つまり甘さを感じさせるのに、その後に来るはずのエネルギーが到着しない」という点にある。そのことにより、体は判断体系そのものを狂わされている、という見方がある。甘味受容体は強く反応するが、血糖は上がらずエネルギーは来ない、というわけだ。

腸でみると、甘味受容体が反応してインクレチンなどのホルモンが分泌されるが、吸収すべき糖がない、という状態になる。腸はいわば「待ちぼうけ」を食らう。膵臓では、甘味信号を受けてインスリンが準備されるが、実際の血糖上昇は起きない。脳では、報酬系が作動するが満足感は完結せず「もっと欲しい」という状態が続く。生体は、予測が裏切られることに強いストレスを感じるそうだ。

腸内細菌にとっては「意味不明な化学物質」となる。腸内細菌は、実際に代謝できる糖、発酵できる物質を前提に生きているからだ。菌叢バランスの乱れや代謝・免疫への間接的影響が起こりやすくなるといわれている。

人工甘味料は、血糖を上げずカロリーがない点だけで評価される。しかし体から見ると、ホルモンを動かし神経回路を使い判断をやり直したというコストを支払っている。つまりエネルギーは来ないのに、仕事だけさせられる状態だ。

果物や蜂蜜などの自然の食物は、甘いだけではない。酸味、微量の苦味、香り、食物繊維、ミネラル、ポリフェノールなどが「これは自然の食物である」という文脈を体に伝える。人工甘味料は、甘味だけを切り出した言わば単独信号だ。天然甘味が人工甘味料と違うのは、甘味という合図が、栄養・消化・満足という現実と最後まで一致しているからである。

アスパルテーム、スクラロース、アセスルファム、エリスリトールなどの人工甘味料には、それぞれ異なった特性がある。どれが安全か危険かという見方ではなく、どれを、どれ位の頻度で、どんな文脈で使うか、が重要だ。

肥満、糖尿病、生活習慣病が社会問題化して、「甘さは欲しいが代償は払いたくない」という欲望が、カロリーゼロの甘味を強く要請したといえる。甘味は本来、労働、季節、他の生命の犠牲などの結果として与えられるものだった。人工甘味料は、結果を飛ばして、快だけを得るという構造を可能にしたといえる。

未来の甘味は、快を与えるものではなく、人間が生きていることを引き受けることを助ける甘味であるべきだと思う。甘いと感じたら実際にエネルギー・生命・満足が来ることが基本だ。未来の甘味は、何を食べているかが分かり、どこから来てどんな時間を経たか想像できる意識を伴った甘味であってほしい。

高血圧の人が増える中、現在、人口塩味料の研究開発が進められているそうだ。生きている体にとって良いものとなるように願っている。