
「干支の午」と「動物としての馬」は、同一視されがちだが、象徴的には同一ではない。午は「原理」で、馬は「その原理を宿す存在」だ。
午の本質は、上昇する火であり、前進する意志と推進力だ。十二支の円環の中で午は、卯=芽吹き、辰=形成、巳=変容を経た後、「意志が身体を持って走り出す地点」と言われる。
馬の霊的・身体的特徴をみると、重心が前方にあり常に未来へ傾いており、感情に極端に同調し、自らのためより他者を運ぶための身体構造を持つ。これらは他の動物にはほぼ見られない。馬は「自我を持たないまま、他者の意志を地上で実行する存在」といえる。
午とは「走る力」そのものであり、馬とはその力に身体を差し出した存在だ。だからこそ、午年は人間自身が“運ぶ者/運ばれる者”になることを迫られる年になるといわれる。午年をよく象徴するキーワードをあげれば、「火・熱・スピード、前進・突破・解放、意志・情熱・行動、孤独な決断」、といったところだろうか。
一方、午年うまれの人は、「先に行く、一人で決める、理解されにくい」といった傾向があるという。表面では「進もう」と思っていても、内面では「怖い」「支配したい」「失敗したくない」などと分裂している、とも言われる。
ところで、『ウマ娘』という漫画・アニメをご存じだろうか?
実在した競走馬の名前・戦績・物語をもとにしたキャラクターのウマ娘たちが、学園で学び、走り、競い合うという物語だ。ウマ娘たちは、競走馬の魂を受け継いだ存在として描かれている。人間のトレーナーと二人三脚で成長していく。作品の核心は「なぜ走るのか」「何を背負って走るのか」という点だ。これは、そのまま、「人間は」と置き換えられるテーマだ。
ウマ娘は動物でもなく、人間でもなく、人間の内部にある“走りたい力”が人格を得た存在だ。ウマ娘たちは、「勝ちたい、走りたい、でも仲間も大切、怪我や限界を抱えている」という、人間がもつ内的な葛藤そのものを生きている。
この漫画を読むと、「競馬ファンの方は、これほど馬の運命を内面で感じられていたのだろうか」、と思えてくる。現代の競走馬は過剰な記録と経済価値、管理・数値化によって、固定された存在だ。ウマ娘は、馬を再び“物語存在”へ引き戻しているような感じだ。この“走り”なら魂を預けられる。競馬場が「静かで尊い場所」に変わる。
ウマ娘の特徴は、勝っても負けても存在が否定されず、速度・闘争・優劣が殺し合いに変わらないし、ライバルが敵ではなく鏡・仲間・証人になる、という世界だ。これは、現代の社会で必要な側面ではないだろうか。
この漫画は、勝敗・地位・専門性に人格が縫い付けられていたり、もう変われない、という自己像を持っている大人の方にぜひ読んでいただきたいと思う。
明日は、大きなレースがあるが、馬と自分の心にも何かを賭けてみたらどうだろうか?