人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

北風と旅人

北風と太陽

北風が強くあたる季節になったが、冬場に朝出かける時、心の中で歌っていた曲がある。吉永小百合さんがうたっていた歌詞は、
〈 北風吹きぬく~寒い~朝も~ 心~ひとつで~暖かくなる 〉で始まる。

朝はこの歌といっしょに「寒さなんかに負けないぞ」という気持ちで出かけ、夜はカラオケでよく「津軽海峡・冬景色」を歌っていた。

〈北へ帰る人の群れは 誰も無口で~ 海鳴りだけをきいている~〉という所がとくに好きだった。

北風とは体に厳しいものだとは思うが、それは人の心魂にとってはどのような働きをもたらすのだろうか?

思い浮かぶのは、童話の「北風と太陽」に出てくる旅人だ。あの旅人は北風そのものの性格を反映しているように感じる。

人智学的にみれば、北風は心魂にとって次の性質を持つといわれる。

・意志の緊張と自我の硬化
・外からの試練・拒絶
・「自分は誰か」を外力によって確かめさせる働き

童話では、北風が吹けば吹くほど、旅人は外套を脱ぐどころか、きつく握りしめる。これを霊的に読むと、外からの冷却・攻撃に対して自我は防御を固め、殻に閉じこもろうとすると、みる。旅人は、北風の作用を受けて「自己防衛的自我」へと向かう。

重要な着眼点は、北風は、強く吹けば吹くほど、力を誇示すればするほど、“旅人を変えられなくなる”という点だ。北風の「霊的限界」といってもいい。北風は人を鍛えることはできるが、変容させることはできない。

強制や緊張や正しさで人を「脱がせる」ことはできない。旅人とは、「北風が最後まで支配できなかった人間像」そのものだ。

ここで、問いが立てられる。「では現代社会で、北風の役割を担っているものは何か?」というものだ。現代の北風は、並べてみると、

正義、倫理、専門知識、エビデンス、説明責任、透明性などだ。本来、光であるものなのだが、冷たくなると北風になる。正しく語られると、反論できず、 人は沈黙し、内側を固めるようになる。つまり、外套を強く握る。この場合の外套とは、立場や肩書、アイデンティティといったものだ。

現代の北風には、まだ他のものもある。
点数評価やフォロワー数、KPIや成果主義にランキングだ。これらの結果、失敗が怖くなり、安全な外套を選び、冒険しなくなる。旅人は「脱げず」、むしろ「着込む」といっていい。

現代の太陽と言えるものは、共感や物語、沈黙と無目的な時間、評価されない行為、誰にも見られない善意などがあげられるが、これらは人を説得することはない。ただ温めるだけだ。

北風は結論を出したがるが、太陽は教訓を言わず、答えを押し付けない。代わりに、失敗や迷い、回り道を語る。そうすると自然に外套を脱いでしまうのではないだろうか?

明朝も寒くなりそうだ。厚い外套を着ていくことにしよう。