これからひと月ぐらいの間は、贈り物が増える時期だ。“贈り物”といってもモノとは限らない。無形の贈り物ももちろんある。ところで、贈り物を「あげて喜ぶ人ともらって喜ぶ人」がいるように思うのだが、どうだろうか?
極端な見方をして、「あげる人は愛情深い人で、もらう人は欲深い人」とする考えは、もちろん間違っている。短慮の典型のようなものだ。
この違いは、魂の働きの方向性の違いとして捉えると、分かりやすくなるように思う。
人智学的に見ると、あげて喜ぶ人は、アストラル体が外へひらき、自我が「世界に働きかけるよろこび」を感じ、意志が“自分を超えてゆく”方向に流れている。贈る行為は、「相手によい影響を与えたい」「相手を照らしたい」という魂の運動そのものだ。贈る瞬間に、自分の生命力が軽く外へ流れ、その流出を「力の損失」ではなく「意味ある循環」と感じられる人だ。“相手の幸せは私の幸せ”なのだ。
もらって喜ぶ人は、エーテル体の感受性が高く、外からの働きを“生命力として取り込む”力が強い。また、自我は「関係を通して自分が豊かになる」方向に働く。これは決して受け身ではなく、“世界からの善意を受け取る広い器を持っている”人といえる。贈り物を受け取るとき、アストラル体は「ありがとう」という熱を帯び、エーテル体の層に“新しい構造”を作る。これのプロセスを人智学では、「関係のカルマを新たに形成した」、と読む。
個人差はもちろんあるが、人生の時期によっても変わるようだ。
20代〜40代前半は「あげて喜ぶ」が発達する時期で、40代後半〜60代は「もらって喜ぶ」が成熟する時期と言われている。これは、魂の老化ではなく、魂が“出る力”から“迎える力”へと進化するという意味がある。そうならば私はもちろん「もらって喜ぶ」時期なのだが、実際はまだ、「あげて喜んで」いる。よほど魂が未熟なのだろうか?
現代らしく、「AI時代の“贈り物”とは何か?」という問いを立ててみた。現代の新しい傾向として、物質に代わって情報・注意・時間・意識が媒介になる世界が始まっているような気がするからだ。
たとえば、
AIによる創造物(文章・画像・分析・発見)を無償で共有すること。
他者の作業を支援するAIや、人間がAIを通して互いに協力する行為。
AIが生成する対話・音楽・映像などを通じて、他者の心に触れる体験。
などだ。
物質ではなく「意識と関わりの流れ」を贈ることが、新しい贈り物の形になるのかもしれない。
AI時代では、贈り物の「霊的意図」が失われる危険もある。受け取る人の霊魂に届かないような情報には注意しなければならない。AIを通じて与える意図を意識し、ただ便利に使うのではなく、「相手の成長・喜び・霊的経験のために」使うことが、絶対に必要だと思われる。AIは物理的制約を超えた新しい媒介となり得るが、霊的意味を意図的に付与しなければ、単なる消費や交換に終わる。これは恐ろしいことだ。
知識や情報の贈与の場合、他者の意識や霊的成長を支援する目的でなければならない。SNSやオンライン空間でAIと共に発信する言葉には、思いやりや共感という心からの動機から出たものでなくてはならない。そこで厄介なのは、機械的なのか心魂から出たのか、言葉上では判別できない、という点だ。
贈り物の本質を忘れなければ、「物質を超えた贈与儀式」を社会に組み込むことは可能だと思う。受け入れる人がいるから、愛は行方不明にならなくて済む。
今年のクリスマスプレゼントは何にしようか?