
シルクロードの美術の講義で、アフガニスタンで発掘されたゼウス像の足とバーミヤン石窟の大仏天上壁画を鑑賞した。
その二つの“遺宝”ともいえる貴重な美術品には、クローンが作られているという。一般にクローン芸術とかクローン文化財と呼んでいるらしい。
講師の先生は、驚きの技術の成果を語る一方、「本物の持つ力」がない、ともおっしゃっていた。
クローン文化財とは、「古くより伝承されてきた伝統的な模写の技術と、現代のデジタル撮影技術や2D-3Dデジタル技術を融合させ、流出・消失した世界中の文化財を復元する、これまでにない高精細な複製」だそうだ。
東京藝術大学の説明によると、「絵具や基底材などの成分、表面の凹凸、筆のタッチまでを忠実に再現するベく開発が進められている。従来の複製と大きく異なる点として、ひとの手技や感性を取り入れることで、文化的背景、精神性など、いわば「芸術のDNA」にいたるまでを再現することがある。」とのことだ。
そして、クローン文化財を前に誰でも鑑賞し触ることもできる、クローン文化財そのものが国境を越えて移動して人々の眼前に公開できる、などの意義をあげている。
焼損や破壊により失われた文化財が復活できるのならば、それは大変結構なことだと思う。ただし、あくまで基本的には物質上の次元の話だ。
人智学では、物質は固定された固体ではなく、生命力によって形態を維持された“過去の生命過程の凝固物”と考える。本物の文化財には、作者の意志や感情や思考という“生命力”が残っているし、作品が作られた歴史的・儀礼的環境の余波のようなエネルギーもある。時間の経過とともに沈殿した“形成のプロセス”が物質に層として沈んでいる。
芸術作品は“霊的働きの痕跡”と呼ばれ、その痕跡は制作行為の中で物質に刻印される。手で触れた「熱」、迷い、集中、祈り、制作時の環境の“気”といった活動が物の中に沈着する。これは講師が言っていた「本物の持っている力」に対応している。
複製品には、その“刻まれた体験層”が存在しない。クローン文化財には、物質的形態は再現できても“形成のプロセス”としての生命力が欠落している。
本物の文化財はたとえば数千年の間に多くの人間の視線や感情を受け、そのたびに微細な印象が積み重なる。クローンは“歴史の厚み”がゼロで、同じ姿をしていても、時間との関係性が決定的に違う。
それではなぜ人は、“本物には力がある”と感じるのだろうか?
人智学的にいうと、それは鑑賞者の側に生命力的でかつ繊細な感受性が備わっているからだ。たとえ無自覚であっても。
目では同じように見える。しかし“霊的な圧”や“空気感”が違う。その違いを“力”と感じる。これは、神殿跡や古代の祭祀場に入ったときの独特の静けさを体で感じるのと同じ現象だ。
クローン文化財にももちろん大切な役割がある。教育・保護のための代替物として、本物の生命力に触れる準備段階として、“形態そのもの”を学ぶための教材として。ただし、それは本物の“霊的実在”に触れるための前段階であり、本物の代替ではない。
「ひとの手技や感性を取り入れる」ことも配慮したのは、素晴らしい。その力が、今作っているクローンに入り込むことだろう。いまから数千年後、そのクローンは“古代技術の遺宝”と呼ばれるに違いない。