人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

曲線と直線と人間

曲線 芸術 直線

たまに建築家などが、「都市には直線が多すぎて、自然由来の曲線や不規則性が欠けた空間は、知らず知らずのうちに人々の精神にストレスを与えている」といった趣旨の主張をしているのを聞く。

また、角ばった輪郭より曲線を含む画像や形状の方が「美しさ」や「好感度」、「休息感」が高く、ストレスは低いとする心理実験の結果が複数出ている。曲線が好まれ、角ばった直線的な形がやや不快感と緊張を生む、という傾向があるようだ。

自然界にあるほとんどすべての存在の姿かたちは、曲線で出来ている。植物も波も炎も貝殻も川の蛇行も天体の軌道も、そして人間の肉体自身もすべて曲線だ。直線と言えるものは、光と鉱物の結晶面くらいだろうか。

人間の技術が作り出したものには、直線が加わる。高層ビル、鉄道、高速道路、各種の機械など、あげきれないほどだ。オフィスでも自宅でも、部屋を見回してみれば、数えきれないほどの直線に囲まれている。人が人工的に作り出したものには直線が多い。

自然には曲線、人の技術には直線が多いと言えるが、もう一つの曲線の在り方もあるように思う。それは、芸術作品だ。縄文の火焔土器などは、曲線だけで出来ている見本のような存在だ。単に曲線というより、「渦とうねりの生命」とでも言えそうで、生命がそのまま粘土になったような造形だ。

ガウディの建築物

ガウディは「直線は人間のもの、曲線は神のもの」と語ったそうで、ガウディのすべての造形原理は自然の形態から取られている。曲線、傾斜、捩れ、ふくらみ、凹凸、黄金比などは“自然がすでに完成させている構造”と考えていた。彼の建築はすべて、曲線と有機的形態で満ちている。

ゲーテアヌム(第一、第二)

シュタイナーは“ゲーテアヌム”と言われている建築をほぼすべて曲線で形づくり、そこで生命の力が目に見えるようにした。生命を形づくる有機的リズムがあらゆる細部に表現されている。

人智学では、直線は中心から離れようとする力、あるいは意志と方向性の明確さを象徴するとみている。純粋な精神性、意志の射出、意図、決断、固定された法則性や論理性、生命から切り離された抽象性も、直線を象徴している。人間の精神が自然界から離れ、抽象化したときに“直線の思考”が生まれる。数学や論理学や工学だ。

曲線は中心へ向かう求心力であり、生命力、呼吸・鼓動、螺旋のような成長、微細なバランスと柔軟性、感情・芸術・共感などを象徴している。言語の旋律も含め、生命的なものは直線を避けて「流れるように生まれる」。曲線は、世界が自ら形を育てるときの運動そのものだ。

単純に一言で言ってしまうと、「直線は精神・理念であり、曲線は生命・呼吸である」といえる。

ゲーテの形態学では、直線的な力と曲線的な力が、互いに“変わり合い続ける”ことで形が生まれると考えるが、直線と曲線の相互メタモルフォーゼがまさに芸術の本質のような気がする。

日常の生活でも、“心の直線”と“心の曲線”を区別して意識することもできる。

・スケジュールを分刻みで管理し始める
・思考が論理一本槍になり、融通が利かない
・YES/NOの二択でしか物事を見られなくなる
・部屋が“機能順”に整いすぎてくる
・歩き方がまっすぐ、呼吸が浅くなる

こんな時は“直線的”だ。

・やるべきことが拡散し、つぎつぎアイデアが湧くが収束しない
・机の上が“流動するように”散らかる
・喜怒哀楽がオーバー気味
・予定が曖昧、ふんわりしすぎる
・歩き方が揺れ、会話が飛びがち

“曲線的”になると、こんな風になる。

人は、自ら作った直線的なものによって、ストレスを生み出している。生活を芸術化しなくてはならないような気がする。ただし、度を超すと人間が曲線になってしまうかもしれない。多少のストレスは必要だ。直線も曲線もどちらも人間には必要だ。直線は、悪者ではない。