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シュタイナーは、11/17~23の時期のことを
「こうして私は今世界の本質を感じる。 世界は私の魂の関りがなければ ただそれだけでは つめたい空虚な働きに過ぎない。 力なく現れ、また新たに人の魂の中に生き そしてふたたび死んでいくことしかできない。」と言っている。
この言葉をはじめて聞いたとき、いやーな感じがしたことを覚えているが、最近何となくわかるような気がしてきた。
この時期にシュタイナーが言ったのは
「世界は本来“死”に向かう力を帯びる。そこに意味を注入するのは人間の魂である。人間が魂の力を注がなければ、世界は「ただ力なく現れ、魂の中で死んでいく。」
つまり世界が弱まるぶん、人間が世界の“意味”の源泉となるべき時期であるという意味だ。
秋が深まり、冬を迎えるこの時季、外界の生命力がほぼ消え、光は弱まる。これを言い替えると、世界の意味と熱が、縦横無尽な、盛んな“外界”からやってくるのではなく、人間の“内”から生まれる、ということだ。
シュタイナーは、この週を「世界の死を前に、魂が世界に“意味を与える”責任に気づく週」として描いている。そう、世界存在の内的価値を創っていく、という責任感が重要なのだ。
“意味を与える” とは、世界に対して“あたたかい関心”を送り返し、孤独と静寂を通して「世界と自分が深く結びついている」ことを自覚するということだ。
枯れた晩秋、朽ちた葉や枝、その景色そのものには“意味”はない。色や形があるだけで、それは「外的な殻」といえる。その世界は、我々がそれを内的に体験するときにはじめて生命を持つ。山を見たとき、その山は、我々の思考・感情の中に「生きる」。そのとき、“世界が魂によって再び生き返る”と呼ばれる。
外界は魂が接触したときにだけ生き返り、その接触が終われば、もとの“死んだ世界”に戻る。物質界とはそういう性格のものなのだ。
晩秋から冬の自然を思い浮かべると、枯れ木、淡い光、生気のない空、死んだ世界の静けさ、色彩が消え、 生きものの動きが減る、などが思い当たる。これらは、霊的には“世界の外殻だけが残ったただの”状態だ。人間の魂の関わりがなければ、世界はほんとうに「ただの物質」「ただの現象」に見える。
冬の空を見ると「寂しさ」「澄明さ」が生まれ、落ち葉を見ると「終わり」や「美しさ」を感じ、夕方の光を見て「祈りのような感覚」を持つ。これらはすべて、外界には存在しない “魂の生きた言葉” だ。つまり、世界は、魂に触れられてはじめて“生きる”といえる。侘しさを伴わない枯葉は、ただの分子の組み合わせにすぎない。
この時期には、夢が濃くなる、思考よりも「気配」に敏感になる、他者の感情や死者の想念に近づきやすい、といった現象が起きやすくなる。「死者が最も私たちに語りかける季節」とも言われる。
またこの時季は、魂が宇宙と対話を始める準備の期間なので、感覚が澄む代わりに孤独感が増しやすいが、寂しさは決してマイナスではなく、魂が“宇宙的自我”に触れる準備としての沈黙なのだ。自信をもって孤独に浸ろう。孤独とは、魂がいま“深い層に触れ始めている”ことに他ならないのだから。
冬至に近づく12月に入ると、この孤独はだんだん「静かな芯」へと変わっていく。いまは、その直前の“最も暗い透明さ”の中にいるわけだ。
窓から見えるプラタナスの枯れた様子が、今はちょっと違って見える。