ギターの発表会に向けて、今は合奏の特訓中だ。いつも先生に、拍子にもっと強弱をつけて表現するようにと注意される。三拍子では、一拍目を強く、と言われる。
一拍目を強くするのは、もちろん音楽では常識で、今まで疑問を持つことなく、そう弾いていた。でも、それはなぜなのだろう?何か深い根拠があるのではないか?と思うようになった。
シュタイナーは拍子について体系的な音楽理論は書いていない。ただ、多くの講義で“拍子が人間の霊的進歩と直接に関わる”という主張を繰り返していた。
音楽の中の拍節は、1拍目は意志、2拍目は感情、3拍目は思考に対応する、というのだが、どうもピンとこない。2拍は地上的、3拍は宇宙的ともいわれるが、ますますわからない。
三拍子の一拍目が強いのは、「意志 → 感情 → 思考」という人間の内的運動が“意志の発出点”として第一拍に集中するためで、三拍子は、
一拍目 発出、生成
二拍目 展開、維持
三拍目 帰結、収束
という宇宙的な三相リズムをそのまま音にした拍子だそうだ。まだ、抽象的でよくわからない。
人間の歩行リズムは“三拍構造”という話もあるが、これはなんとなくわかる。
一歩目 踏み出す瞬間 :力の集中(=拍の強さ)
二歩目 移行 :バランス
三歩目 収束 :安定
という説明だ。
人生で考えてみると、どんな体験も、
一 始まり(力が生まれる)
二 続く(意味を作る)
三 終わる(まとまりに回収される)
という三つの動きの組み合わせでできているようにも思える。
「人生の一拍目」は幼年期〜青年期といえ、「自分が何者になるかまだ形が定まっていない。」「意志や可能性が“前へ進もうとする力”として噴き出す。」「好奇心が強く、世界へ向かう動きが支配的」な時期だ。スタートには強さが必要だ。
「人生の二拍目」は壮年期で、「人間関係、人間性、職業、家族、作品など、何かが“続いてゆく”という時間が訪れる。」「意志で発したものが、世界との関係の中で形になる。」「成長・失敗・再出発が循環しつつ、体験が感情と意味をまといはじめる。」ような時期だ。
三拍目は老年期で、外に広がったものが静かに内に帰り、経験の中に潜んでいた“意味そのもの”が浮かび上がり、若い頃の意志がより高い視野で全体として見えてくる。そして、人生が一つの“まとまり”として静かに結ばれてゆく。
音楽の三拍子のように、人生の最初は強く、中盤は広がり、最後は静まっていく。音楽では軽快にリズミカルに進むが、人生ではそれと同時に、三つの“問い”ももたらすような気がする。
① 私は何者として始まるのか
② 私は世界とどう関わり、何を形にするのか
③ 私の人生は何を残し、どこへ帰っていくのか
人生は一つの巨大な三拍子のようである。三拍目をどのように弾いたらいいのだろうか?