人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

動物に多くを負っている人間

「伴侶動物」という言葉をテレビではじめて知り、動物と人間の深い関係を探りたくなった。番組では、次のようなことが言われていた。

「野生の動物との最大の違いは、伴侶動物には帰る自然はないということで、私たちが命の預かり主であるという点だ。社会で働く犬をみても、盲導犬、介助犬、聴導犬、他には警察犬、災害救助犬、各種探知犬、セラピー犬、病院常勤のファシリティドッグなどの多くの社会活動犬が私たちを直接間接に助け、護ってくれている。」

中には、「読書犬プログラム」というものもあるそうで、人前で音読をすると「間違えたら笑われるかも」「上手に読めるかな」と緊張する子供に対しても、犬は批判せず、ただ優しく寄り添ってくれるそうである。これを当然と言っていいのだろうか?

「批判せず、ただ寄り添う」といえば、ベテランのカウンセラーそのものだ。犬は、もともと臨床心理士なのかもしれない。

高齢者施設の利用者が動物と触れ合うと、笑顔、会話が多くなり、離床率が上がり、新たなリハビリのヒントになるとの報告もある。参加動物と参加者の唾液中では、愛情ホルモン、幸福ホルモンの名で知られるオキシトシンの濃度が上昇することが確認されているそうだ。

動物セラピーの効果を人智学の視点で読むとどうなるか?を考えてみた。

動物は人間のように個別の自我を持たず、種全体を貫く群魂に属している。人間がもつ、勇気・忍耐・献身・敏感さなどの内的な力は、動物界ではそれぞれ一つの特性として現れる。

人間はこれらすべての内的な力を総合的にすべて持っているが、それに対して動物は、人間のその魂的力が、個別の方向に強く発達して“独立”した特性を持つ存在になったと見ている。たとえば、

犬 : 忠誠・共感・奉仕
猫 : 独立・直観・自己保存本能
馬 : 勇気・リズム・動的調和
獅子 :勇気・威厳・力への衝動
牛 : 忍耐・安定・献身
鹿 : 敏感さ・感受性・驚きやすさ
猿 : 模倣・器用さ・知恵の萌芽

といったように。

人間は自我の働きによって、状況に応じて「勇気を出す」「忍耐する」「献身する」など、さまざまな力を自由に使い分けられる。これが「統合された存在」としての人間の特徴だ。動物に出会うとは、外の世界で自分の内なる力の断片に出会うことでもある。

動物セラピーの「癒し」とは、

犬や馬、猫などと触れ合うとき、人間のエーテル体やアストラル体に特定の調和がもたらされること、と考えられる。たとえば、

犬は、人間の意志と感情のあいだを温かく媒介する。
猫は、独立と直観的感受性を呼び覚ます。
馬は、リズム・勇気・呼吸の調律をもたらす。

動物セラピーとは、人間の魂が自然界の秩序と再び響き合う行為と言える。動物との交流は、生命と感情の有機的な流れを取り戻す行為なのだ。

ちなみに、シュタイナー学校や治療施設では、ヤギ・羊・鶏・馬・犬・猫などが日常的に飼われており、子どもが毎日、餌をやり、掃除し、世話をする。これにより、日々のリズム感覚が整い、「自分以外の生命を世話する」という他者感覚が育つ。「今日も自分が行かないと動物が困る」という意志と共感の統合も起こる。治療教育では、こうした“生活の律動”こそが心身を支える基盤とみなされている。

動物は、「人間の魂の失われた部分を外に映し出す鏡」として存在する。動物と共に生き、世話をし、学ぶことは、自分の内に散らばった魂のかけらを再び統合する道なのだ。動物に負っているものの大きさを想うと、感謝以外の気持ちは出てこない。