人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「わたしだからあなた、あなただからわたし」

こころの時代というテレビ番組で、医師で僧侶のかたのことを取り上げていた。ALSの患者さん500人以上の見取りをされてきたそうだ。ご本人は、医師としては「連戦連敗だった」とふりかえり、僧侶としては、「死者から教わることが多い」、とおっしゃっていた。

この番組を見ていてすぐに連想したのが、恩師の高橋巖先生が日ごろよく語られていた言葉、「わたしだからあなた、あなただからわたし」である。何かにつけ、繰り返し思い出す。

はじめてこの言葉を聞いたとき、不思議な感覚をおぼえた。ふつうには、意味が通じないからである。

私がいるからあなたは生きられる、とか、あなたのおかげで私がある、といった、通常思い浮かぶ意味ではないと思われる。人智学でいう「個の霊的相互性」あるいは「関係存在としての自我」を、「わたし」と「あなた」という言葉を使って表現している。

つまり、「わたし」と「あなた」は分離してはいないで、融合している、というイメージだ。これは一体どういう状態を指すのだろうか?人智学では、「自我は孤立した存在ではなく、他者との関係のなかで初めて現実化するものと考える。人間は他の人間を通してしか自分を知ることができないということだ。

「わたし」は「あなた」によって、はじめて“わたし”となる。
「あなた」は「わたし」によって、はじめて“あなた”となる。

という、相互照射的な存在の構造がここにある。

私の存在が、あなたをあなたとして呼び出している。
あなたの存在が、私を私として目覚めさせている。

と言い換えてもいい。

人智学では、すべての人間の自我は、太陽的存在から分かれ出た光のようなものであり、したがって「あなた」と「わたし」は、根源において同じ光に由来する、という認識を持つ。これは個の否定ではなく、「個を通じて普遍的霊性に達する」という人智学的自我観の精髄となる考えだ。

小難しければ、「相手が私の鏡となっている」、「相手の苦しみの中に、私の課題が映っている」と思えばわかりやすいかもしれない。

「あなた」は単なる他者ではなく、私の霊的分身ともいえる。ある人生での「あなた」と「わたし」は、別の世界では役割を入れ替えながら、互いの魂の成長を助け合う、というのが人智学の基本的な認識だ。人智学では生者と死者の関係こそ、まさに「分離を超えた相互存在」として理解される。死によって肉体という媒介は失われても、魂と魂のつながりは途切れない。むしろ、死を経た関係は、より内面的・霊的な相互作用へと変化する。「わたしだからあなた、あなただからわたし」とは、「この世」と「あの世」を貫いて続く強い関係の言葉と読むこともできる。

500人の見取りをされてきた医師で僧侶の方は、きっと500人の分身を持っているはずだ。うらやましく思う。