人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

歴史教育について思ったこと

自治体が実施する文化講座をスポットで受講した。オスマン帝国の興亡史である。講師は、その道の第一人者で、大変有名な大学の名誉教授だったが、私の教養不足のせいで、ほとんど記憶にも残らず心にも響かず、時間が流れていった。

講義は、膨大な情報量を凝縮して進められていった。オスマン帝国で起こった歴史的事実が次々に延々と述べられた。私の頭の悪さが原因だと思うのだが、記憶に残っているのは、次のような単語の連続だった。

起源、定説、決着、制服、確立、組織化、整備、侵攻、勝利、即位、統一、急死、圧倒、遠征、要衝、創設、帰順、大破、派遣、制度、典章、処刑、大敗、全土、奪回、廃位、発布、要求、制定、擁立、公布、追放、専制、大戦、終焉、などである…。

高校生のころの、世界史の授業を思い出してしまった。ただ、点を取るためだけに機械的に暗記した記憶がある。大学に入って以降は、全く違う歴史の身に着け方を知り、以来、その方法で勉強していたが、今回の講座は強烈だった。

“全く違う歴史の身に着け方”を少し紹介したい。身に着け方、というよりも歴史観と言った方がいいかもしれない。それは人類史を「意識の進化」として観ることが基本となる。「魂の発達段階」を追っていく、といってもいい。

オスマン帝国を例にとり、主にその芸術と使命について記してみる。

オスマン帝国は、ペルシア的世界観を引き継ぎながら、アリストテレス的理性主義を包み込んだ文化圏と見なされる。ここでいうペルシア的世界観とは、星々の知や宇宙秩序の認識をさす。この「星々の知」は、単なる占星術ではなく、宇宙の律動が人間の魂にどう響くかという感覚的・宗教的認識だ。それゆえ、モスク建築の幾何学、アラベスク模様、祈りのリズムなどのイスラーム芸術は、すべて宇宙的調和の象徴といえる。その延長線上にオスマン世界の学問や行政秩序を位置づけることができる。

オスマン帝国の社会構造や信仰形態は、感情的・象徴的秩序に強く支配されており、イスラームの祈りも宇宙的ハーモニーを維持するものだった。モスク建築のドームは「天球」を象徴し、反響する音は宇宙的共鳴を喚起する。アラベスクや幾何学文様は、星辰の運行を数学的比例で地上に再現したものだ。アラビア書道(カリグラフィー)は、音声の霊力を形にする術といえる。オスマン音楽の旋法(マカーム)は、各々が特定の時間・感情・星座に対応していて、演奏は魂を宇宙の呼吸に調律する儀式的行為だった。

オスマン帝国、言い換えると、トルコ的・イスラーム的世界の使命は、ヨーロッパの個我を中心とした進化にブレーキをかけ、宇宙的律動・信仰の統一原理を保つことと理解できる。ヨーロッパが分離・分析・個人化の道を進むあいだ、そのバランスを取る役割を果たした。

19世紀末〜20世紀初頭にオスマン帝国が崩壊したことは、「宇宙的秩序」の時代が終わり、「自我が自由になる時代」へ移行した徴とみられる。すなわち、もはや「上から与えられる法(シャリーア)」ではなく、各人が内なる霊に基づいて自由に倫理を形成する時代への移行とみると、よくわかる。

人智学の歴史観からすれば、トルコなどの旧オスマン圏は「東西・南北の中間的領域」にあたる。今後の課題は「律動的信仰(イスラーム的世界感)と自由な思考(ヨーロッパ的個我)」をどう調和させるか、という点だと思われる。

次回の講座は美術で、その次は音楽についてだ。楽しみでしようがない。