人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

水のめぐみについて

今日はスーパー銭湯に行って、たっぷりお湯につかってきた。温泉や水風呂に浸かりながら、何にも考えずにゆっくりとできた、と言いたいところなのだが、性分が出てしまい、“水”について考え、思い出したことを書く。

それは、水の霊的な意味のことである。水には、主に三つの大切な働きがあると言われている。

ひとつは、生命体を物質界に伝える主要な媒介としての働き。水は「生命の流動」「変化」「受容」を象徴している。「水の中では、生命が流れ、形が移ろう。水は形を保たず、生命そのものの可変性を示している。」とシュタイナーは言っている。水は「形なき生命の原像」といってもいい。

二つ目は、水は「魂界の鏡」と言われることに係わる。人間の魂は、物質と霊のあいだにある「流動する存在」として描かれ、その象徴が水である。魂の世界は感情や欲望が流れゆく世界なので、その動きを見るには、水の波紋・流れ・透明さ・濁りが、たとえとして近い。魂の清明さは、水の澄明さとして自然界に映し出されるというように。

三つめは、水は「地球の血液」である、という見方だ。「地球における水の循環は、人体における血液循環と同じように、霊的生命のリズムを支えている。」と言われる。海と川、雲と雨の循環は、地球霊(ガイア)の呼吸であり、
このリズムを通じて、霊界と物質界が交流しているとみる。

人間の気質から水を見てみると、水の要素は粘液質に対応している。この気質の人は「外界の印象をやわらかく受け取り、すぐには反応せず、内に沈めてからゆっくり応答する」のが特徴だ。それはまさに、水が外からの衝撃を吸収して波紋に変えるような在り方といえる。

また、「水はすべてを受け入れ、分かち与え、決して自己を主張しない。ゆえに水は愛の象徴である。」とも言われている。ヨハネ福音書で、「わたしが与える水は永遠のいのちの泉となる」と書かれていたことが思い出される。

ところで、“天使の断念により水が生まれた”という認識がある。何のことをいっているのか全然わからないかもしれないが、これはシュタイナーの宇宙創世論を深く理解している人が象徴的に言い表した表現だ。

「断念」という概念は、「天使的存在が本来の光や熱を自ら抑え、下位の存在のために“降りる”」という行為をさす。自らの完成を断念し、下位の存在を助けるために自己を制限すると言い換えてもいい。仏教の菩薩の行為と同じなので、そう思えばわかりやすいと思う。菩薩とは、仏の位になれるのに、あえて自分の進化の道をあきらめて、地上の人々のために働く存在だ。

物質界とは、霊の自己抑制・自己犠牲の結果にほかならない。熱や光を与える存在が自らを抑えることによって、“凝縮”がはじまり、それが液体的世界つまり水の始まりにつながっている。「水が天使の断念から生まれた」というのは、象徴的にはまさにこの「霊的自己抑制」の出来事を指していると読める。

霊的存在の断念は、「愛」の別の表現といえる。

温泉に浸かれるのも、天使たちのおかげである。いつか、お返しをしなければならない。