多くの人が多少なりとも「人生をやり直したい」と思っている。だから、現実の制約や生きづらさを超えてやり直したいという願望を満たしてくれる「異世界転生・転移もの」のアニメや漫画がブームなのだろうと思う。
特に、「悪役令嬢もの」は、破滅フラグという「決定済みの不幸な未来」を、知識や努力で回避できる物語なので、これは「自分の未来を作り直せる」という願いを満たせることにつながっている。読者にとって「本来なら悪役でしかない立場」が、実は自分次第で主役になれる、という逆転のカタルシスがある。
転生のモチーフを人智学的にみると、人間は地上での生を終えた後、霊界を経て再び転生し、前世での学びや課題を次の人生に持ち越すという認識をしている。異世界転生ものは、これを物語的に圧縮した形で提示しているといえる。たとえば「悪役令嬢」としての立場は「前世での未解決のカルマ的状況」に相当し、「破滅フラグ回避の努力」は「カルマを克服し、新しい自由を獲得する試み」と読める。
「悪役」として生まれることも魂の成長の一環であり、それを自覚し克服することで次の段階に進める、という理屈になる。
悪役令嬢は、「高い地位と美貌を持つが、破滅する」というシナリオを背負って生まれてきた存在だが、これは魂に課された「一種の試練的カルマ」と見なせる。
破滅フラグという「決定済みの未来」は、まさにカルマ的な「予兆」に相当する。主人公がそのフラグを知り、意識的に回避しようとする姿は、「カルマを盲目的に受け入れるのではなく、自由な意志で新しい未来を創造する」人間の本質を描いている。カルマは絶対的な宿命ではなく、人間が意識と自由を発揮する場でもある、と言える。
なぜ今このジャンルが流行るのか?を再考してみると、「逃げたい」「でも現実では無理」、「ならばフィクションの世界で」というこころの動きは、実は表面的で、本当は現代人の魂が「死後世界や転生」を直感的に求めているからではないかと思われる。
多くの人は「本当に異世界に転生できる」と信じてはいない。ただし、「もしできたら…」という可能性への願望は、強く共有されている。その願望自体が、かつて宗教が担っていた「死後の希望」「新たな人生」という機能を、現代の物語が肩代わりしているとも言える。
ただし、逃避した先の異世界で楽な生活が待っている、とは限らない。試練はずっと続く。すぐに「やり直し」に向かうのではなく、まずは、今この世界で担っている試練を“刈り取って”から、次に進むのがよいと思う。