
田中 泯さんの『ミニシミテ』を読んでいて、印象に残った文章は、“動作に現れる心を読む”の中にあった。
部屋の窓を誰かが開ける、という状況を想定した時、その動作を表現する言葉として、「忙しげに、荒っぽく、突然に、ゆっくりと、やさしく、面倒くさそうに、ていねいに、教えるように」などの言葉をあげながら、「単純な動作でもその動作の主人公のカラダの内部の状態が表情として見えてくる。」と書いている。また、「カラダには表れてしまうものが無数にある」とも言っている。
内部が外にあらわれる、ということを考えていて、思い出したのが人の“しぐさ”の意味である。
思考や感情は身体に響き、表情・姿勢・手の動きなどの「しぐさ」にあらわれる。しぐさは、心の中を「翻訳」する言語のようなもので、意識的に隠そうとしても、その人の魂の質が必ずにじみ出る、ような性質を持つように思える。日常でふと出てしまう「無意識のしぐさ」にも意味があるのを感じる。
人智学では、魂は死と再生の間で精神界に滞在し、次の人生にふさわしい身体を形づくる「設計」をすると、認識している。前の人生での思考や感情や行為の傾向が、肉体や気質の形に反映され、その結果、ある人は手を動かすときに柔らかさがにじみ出たり、別の人は硬さやぎこちなさが出たりする。
たとえば、足を組む癖、物を扱う手つき、怒りやすい人の肩の動きなどは、魂の深層が身体に沁み込み、外へ現れているものとみられる。
顔のしぐさも同様だ。何度も人を批判したり、皮肉を言い続けてきた人は、無意識に口元に冷笑的なしぐさをもつようになる。逆に、感謝や祈りを日常的に抱いてきた人は、自然に穏やかな表情をするようになる。
「怒りっぽい人」と「祈り深い人」を取り上げて、もう少し比較してみると、
怒りっぽい人のしぐさとしては、「肩や腕に常に緊張がある、手の動きが鋭く、投げ出すような所作をしやすい。足音が強く、踏みつけるように歩く。眉間にしわが寄りやすく、目つきが鋭くなる。口元が突き出たり、噛みしめるような癖がある。」
といったことが考えられる。「力で物事を押し通そうとする傾向」が強かった結果、今の身体に「爆発しやすい動き」が染み込んでいる。これは、今生で「抑制」「忍耐」「他者への思いやり」を学ぶ課題として現れている。
祈り深い人のしぐさとしては、「手の動きが静かで、物を扱うときに大切に包むような所作をする。背筋が自然にまっすぐで、頭が軽く上に向かう。歩き方が静かで、地面を押さえつけるのではなく「踏ませてもらっている」という感じ。目が柔らかく開かれ、光を映すように澄んでいる。口角がわずかに上がり、穏やかな笑みをたたえやすい。」
ことがあげられる。自然に人や世界に対して信頼を寄せる傾向が出やすい。
このほかに、爪をかむ・腕を組む・よく上を見上げる・貧乏ゆすり等々、日常の「何気ないしぐさ」が考えられるが、どんな傾向の魂で、どんな課題があるのか、だいたい想像がつきそうだ。
しぐさは「過去からの傾向」と「今生の課題」が交わる地点に現れる、と理解できそうだ。こういう視点でいくと、自分や周囲の人の「癖やしぐさ」をカルマ的に観察することが、ちょっとした魂の観察練習にもなりえる。
鏡をみたら、だいぶ眉間にしわが寄っている。私の課題は何なのだろうか?