人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

「魂の天ぷら」食べる秋彼岸

水木しげる先生の漫画に「魂の天ぷら」なるものがあったことを、ふと、思い出したのだが、これは秋分の頃における一つ目の意義に結びつくように思う。

それは、お米などの自然の実りという恩恵を感謝とともに受け取る時節であるとともに、内なる魂の力を滋養にできる季節の始まりでもある。自然からの「収穫」だけではなく、人間の学びや経験の「収穫」日でもある。つまり、魂の天ぷらのようだ。たまもの(賜物)の天ぷらともいえるかもしれない。

夏至から秋分にかけて、太陽の力(外へ拡張する生命力)が衰え、冬至に向かって、内なる力(霊的な集中)が強まる。秋分はその「ちょうど中間点」で、自然が外的な活動から内的成熟へと切り替わるタイミングとなる。

ここで、「収穫」以外のもう一つの意義に結びつくが、ヨーロッパでは、秋分の直後に 「ミカエル祭」 が祝われ、この祭りは、魂の中に芽生える恐れや疑念や欲望に対して、人間が勇気と自己統御をもって立ち向かう力を象徴している。

昼と夜が等しいこの時期に、日本では「彼岸=あちらの岸」に想いを馳せる。昼と夜の均衡は「魂の中道」の意味合いもある。仏教で言う「中道」や「彼岸」は、極端を離れて調和点に至る道でもある。自然のリズムの中で「均衡」が起こる時期に、魂が霊界に目を向けやすくなる、という点で、日本のお彼岸と人智学的視点は一致している。仏教的お彼岸では、先祖や霊的存在に祈りを捧げるが、人智学でも、年の特定の時期に霊界が近づくとされている。

人智学では、亡くなった魂は生者の思い・祈りを必要としている、とされるが、仏教でいう「回向」とよく似ている。お彼岸の「先祖供養」は、単なる習俗ではなく、霊界の存在と地上の人間との共同作業と解釈したい。生者が感謝と祈りを送ると、亡き人の魂の進化に助けとなるし、同時に、生者の魂も「死を思うことで生命の深みを知る」修行になる。

お彼岸は、生者と死者が互いに助け合い、魂の成長を促す行事と言えそうだ。お供えのおはぎがなんだか、魂に見えてきた。下げたら、おいしくいただきたいと思う。きっと栄養になるに違いない。