この夏、オープンカレッジで華厳経と涅槃経の講座を受講し、集中的に勉強した。
華厳経の要点は、「一つの存在の中に全宇宙が映り込んでいる」、「人・動物・植物・鉱物・山河大地すべては相互につながっていているからこそ存在できる」、といった点にある。さらに、自分だけの救いではなく、世界全体の調和を志すことを説いているのが特徴と言える。
涅槃経の要点は、“一切衆生悉有仏性”と言われ、「すべての存在は仏となる可能性を宿している」、だから、「人間だけでなく動物をも大切にすべき」、と説く。また、「仏性は“隠れている宝”のように、誰の内にも潜む」と教える。
この二つのお経を読んで連想したのは、現代で話題になっている“ポスト人権”の考え方だ。ポスト人権論とは、例えば、「人間だけでなく、川・菌・道具・AIさえも全てこの地球の世界網でつながっている」、という思想で、エコロジーや気候危機への意識がその背景にある。
これは、華厳経の「森羅万象が相互に照応する」世界観ととてもよく似ているし、涅槃経で言われる、「犬も豚も、未来に仏となり得る」という思想は、動物に法的・倫理的権利を与えようとする現代の動きとまさに響き合っている。
もちろん、お経のほうは、宗教的直観を中心としていて、ポスト人権は制度的・法的な形に落とし込む試みである違いはあるが、根本的な心は同じような気がする。両経典は、近代的「人間中心の人権思想」を超える大きな視野を古代から示しており、まさに「ポスト人権」の思想的基盤になりうるものと思われる。
「ポスト人権」とは、近代的な人権思想(=人間中心・法的平等)を超えて、さらに広い視野から「尊厳」や「権利」を考え直そうとする議論だ。何年か前に、ニュージーランドでは、ワンガヌイ川が「法人格」を持つ存在として法的に保護されたというニュースがあった。
ニュージーランドが川に「法的な人格」を認めた理由は、それが聖なる力をもつ、先住民マオリの「祖先の川」だからだ。法案では、ワンガヌイ川とこの川にまつわるすべての地勢および形而上の要素は、「テ・アワ・トゥプア」という不可分の生きた存在であり、「法人がもつあらゆる権利、力、義務、責任」を有すると宣言されたそうだ。
川は生き物だ、という思想は譬えではなく、人の認識が広くなったことによって、自然がただ無生物で構成されている物質ではなく、生命であると気づいてきたからだと思う。
ボリビア・エクアドルなどの南米でも、「母なる大地パチャママの権利」が憲法に明記され、人間以外の生命や自然そのものに尊厳を認めるという新しい認識が始まっているそうだ。そこには、ポストヒューマニズムの思想である「人間だけが世界を測る主体ではない」という発想があるような気がする。
「すべての存在は相互依存している」という、二つの経典の“縁起の思想”は、現代の環境倫理に近い。というよりも、現代の認識が、やっと仏典が説く真の認識に気付いてきた、と言った方が良いかもしれない。
ポスト人権の課題は、たくさんある。誰の「声」をどのように代理し、社会制度に落とし込むか?川や森の権利を誰が代弁するのか?権利拡張が「人間の権利の軽視」に転じないか?などである。
経典の説く「宇宙的調和」を「包摂的な制度と倫理」に変換していく作業は、とても困難なことで、まだまだ長い年月がかかると思われる。経典が生まれたのが千数百年前、これからも同じくらいかかりそうな気もする。