人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

人間の意識が曇らされるのは、どんなときか?

「人間の意識が曇らされる」とは、物事や人の言動の本質を真に見る力が弱まり、判断や感覚が歪められる状態に陥ってしまうことを言っている、という前提で考えてみたい。

すぐに思いつくのは、二つの世界大戦の時、「強力な指導者たち」の言動に多くの人が盲目的に従ってしまった、という事実だ。これはもう説明はいらないだろう。今、世界で起きている多くの戦争や紛争における指導者にも当てはまる。

これらの指導者にまさに当てはまると思った言葉を、つい先日、新聞紙上で見かけた。内田 樹氏の「悪に惹かれる」という寄稿の中の一節である。

二か所を抜粋してみると、
「今、各国民が選好しているのは動物的な生気がみなぎった強そうなリーダーである」
「人々が大切にしているものを嘲笑し、恐れを知らぬ攻撃性によって“無機的で抑圧的なシステム”を破壊する改革者に人々は喝采を送る。」

この抜粋は、参院選のことから始まり、世界で起きている、色々な形をとった排外主義的傾向について述べた寄稿の一部だが、“選好し喝采を送る人々”には、やはり何らかの偏りが感じられ、私の考えでは、意識が曇らされている人と思える。仏教的に言えば「無明」と表現される。

特に戦時では、プロパガンダや一方的な情報にさらされる時、多数派や権威に従ってしまう時が危険なのだが、その自覚ができていれば、戦争など起こらなかったはずだ。

そのほか個人的な次元で意識が曇らされる時や状況を考えてみた。

怒り・恐怖・嫉妬・欲望などに心が巻き込まれると、冷静な認識ができなくなるし、「自分の見方だけが正しい」と固執すると、他の可能性を閉ざしてしまうことになる。また、競争や比較に縛られるとき、つまり、他人と比べて優劣を気にしてばかりいると、ものの本質が見えなくなる。

私の経験から言うと、こんな時、意識が曇り始めた。

・専門家や大学教授、博士号を持った人などの意見をそのまま信じてしまう時。
・最先端の知識や技術の成果、と言われると、それが完全な真実と思ってしまう時。
・種々の占いで、吉とか凶とか出た時。
・何かを判断する際に、「自分が損するか得するか」と思った時。
・誰かを、または何かを嫌っている時。
・心身ともに疲れている時。

では、「意識を澄ませる方法」にはどんなことがあるだろうか?人智学で言われていることをヒントに書き出してみた。

日常的なことー適切な休養、深い呼吸、自然な食べ物が基盤となる。当たり前の内容なのだが、実践できるかどうか、ということだ。

●静かな時間を持つこと
1日のうち数分でも、外的刺激を遮断し、静けさの中に身を置く。自分を鎮めると言ってもいい。短時間でできる瞑想である。外から始終情報が入ってくる状態ばかり続くと、自分の中の受動性が強く養成され、冷静な判断ができにくくなるからだ。

●観察の練習
先入観を脇に置き、対象をありのままに見る練習。「花や人の言葉などを丁寧にかつ集中して観察すると、判断力が澄む」、と言われているが、これが極めて難しい。「ありのまま」を見極めることは、ほとんど不可能にも感じられる。しかし、だから「練習」と言われるわけで、日々の習慣の積み重ねで少しずつ透明になっていくのを期待する。

●自分を他人のように見なす
これはちょっと独特の“行”といえるが、自分で自分を他人を見るように観察する。単なる自己反省とは違い、一時的に自分から外に出ていく感覚だ。イメージ的に言うと、自分の自我(魂)が外から自分を見ている、という感じだろうか。これは、今現在の自分でなくて構わない。要は、日記をつけるのと同じようなものだ。今日一日を思い出し、記してみることは、大変よい「他人見なし」になる。10年前の回想でも全くOKだ。