人智学的つれづれ草

日常の体験と人智学で学んだことを結びつけ、広げます。

皿洗い瞑想法のことについて

世の中には、○○瞑想法といったものがあふれている。世界の伝統宗教でも、瞑想や観想を行わないものはないくらいだ。私のヨガの先生だった方も、瞑想法を100集めて一冊の本にしており、実に様々な瞑想法を載せている。

人智学でも非常に多くの瞑想やマントラ(真言のようなもの)を謳っているが、一つだけ私が応用しているものを紹介したい。

それは、思考力を強める瞑想なのだが、どんなことでもいいから、一つの物や事柄を自分で自由に決め、それだけについて例えば3分間集中して考えてみる、というものだ。対象は単純なもののほうがいい。決してカントの純粋理性批判を集中して読むというようなことはしない。

やってみるとすぐにわかるが、たとえ1分間でも一つのことだけに集中するのは、本当に難しい。秒単位ですぐにほかのことを考えてしまう。禅のお寺に行くと、ただ何も考えるな、と言われるが、すぐに雑念が湧いてきてしまうのと同じだ。日常の生活でも仕事でも、本当に一つのことに集中できることは少なく、次から次へと鬼火のように思考は入れ替わる。

私が応用しているのは、皿洗いへの応用である。皿洗いが好きだという方は、あまりいないと思うが、私もそうだ。人智学では普通、例えば3分間、鉛筆のことだけを考える。最初の1分間は、鉛筆の素材のことを考え、次の1分間は、鉛筆が作られた工程のことだけを思い、といった調子である。知識がなくても自分の想像で構わない。

これを皿洗いに適用したらどうだろうか、というのが私の浅はかな思いつきなのだが、いやいやながらやるのと比べ、はるかに思考力養成になる。この皿の形態はどんな人が考えたのだろう、と1分間。この模様はどんな思いで描いたのだろう、と1分。素材はどんな土なのかな、などと1分。ほかに自分が考えたものなら何でも構わない。

早く終わらせたいと思っていると、皿洗いがまったく機械的になってしまい、つらいだけのものとなる。家事労働をしながら、思考力も養成できるこの両得方法をぜひお試しいただけたらと思う。私は、西洋の哲学書をよく読むが、この皿洗い法は、実際大変役に立っている。