NHKの「人体」シリーズの最終回“果てしなき命の探求”で、番組の締めくくりとして、端的に次のようなことを述べられていた。
・命は40億年かけて、ないもの(物質)からあるもの(生命)へと進化した。命の意味は、有るとも言えるし、無いともいえる。(タモリ)
・生物は、遺伝子の乗り物である(リチャード・ドーキンスからの引用)。でも、それだけでは、“さびしい”。(山中)
・生きているということは、奇跡である。とにかく生きていればスゴイ。(両者同調)
これらの発言をまとめてみると、唯物論的進化論を基本としていることがわかる。つまり、生命は細胞が複雑に進化したもの、という考え方だ。でも、やはり命というものは謎だらけで、その考え方だけでは、言い切れない何かがあるとも思っている、という印象が残った。山中先生は、愛するということができるようになった人間というものを、細胞や脳だけで説明するのにためらいを感じて、「さびしい」と言ったのだと察する。
三人目は、新聞の投書欄に載った会社員の方のものである。タイトルは「生きているだけで合格」である。小中学校生の自殺者数が増え続けていることから始まり、ちばてつやさんの漫画『ひねもすのたり日記』の中で、色紙に「生きているだけで合格」と書く場面にふれている。最後に「皆さん、どうか生きてください。」で終わっているが、命がなぜ大切かを説くのではなく、ただ心から願っているのがよく伝わってくる。
最後は、人智学者の高橋巖先生が本当によく繰り返されていたので、頭に焼き付いているのだが、「人間は生きているだけで価値がある」というメッセージだ。この言葉の説明は、ほとんどなさらなかったので、何度も自分で考えてみているのだが、いまだにきちんと言語化できていない。
想像でしかないのだが、こんなことをおっしゃりたかったのではないかと思っている。
・どんな人間にも「神的な自己(高次の自己)」が宿っている。つまり、人間はミクロコスモスであり、宇宙全体が人間のいるこの世界に現れている、ということになり、そこには計り知れない価値がある。
・現代社会は、「役に立つ」「生産する」「他人に認められる」ことで初めて価値があるとされがちであり、こういう功利主義への抵抗感があった。全然違う視点になるかもしれないが、例えば寝たきりで人のお世話にならないと生きていけない患者さんだって、医者や看護師さんに仕事を与えてやっている、という意味では立派に仕事をしているではないか!そういえば、高橋先生は、シュタイナーと同じく「弱さの中に力が宿る」という観点を持っていた。たとえば、病気、障害、社会的挫折なども、仕事ではないかもしれないが、魂の深い体験の一部、つまり学びの旅路として価値があるとされる。
・そのように考えてくると、「人間の尊厳」という言葉の意味が、少しわかってきたような気がする。
自分は、どんな他人も尊厳をもっている存在として、見ているだろうか?